歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

慕容垂、運命の395年参合陂の戦い前夜。

 

●五胡十六国時代から南北朝へ移る時代の変わり目

 

華北は395年、

華南、つまり東晋は404年で時代が変わる。

それぞれ区切りを付ける事件がある。

395年は参合陂(さんごうは)の戦い、

404年は桓玄による簒奪と劉裕による東晋復興である。

 

五胡十六国時代は、

五胡と呼ばれる異民族たちと東晋が入り乱れる戦乱の世だ。

 

異民族が五種類あるだけでもややこしいのに、

実態は五つではなくそれ以上の数の漢民族以外の民族が登場する。

 

また東晋に関しても、

皇帝の実態がない中、

後世の史観により、登場人物の評価が変わって歴史が読みにくい。

 

更に、そのような国家が16国、これもまた一つの定義であり、

実際にはもっと数が多い。

 

これらが入り乱れるのが、

五胡十六国時代である。

 

非常にややこしい時代と言える。

 

そのため、

時代の区切りというのを一つ一つ定義して、

わかりやすくしたいと思う。

 

五胡十六国時代は、

永嘉の乱に始まり、石勒の華北統一、その死までが一つの区切り。

その後、前秦苻堅による淝水の戦いにおける大敗で一つ区切るがある。

 

そして、

淝水の戦いののち、

南北に歴史は一旦分離し、

それぞれに時代の区切りがある。

 

その年が、華北は395年、

華南(東晋)は404年である。

 

●華北の時代の境目は395年の参合陂の戦い

 

華北は395年に起きた参合陂の戦いで時代が代わる。

 

あまりピックアップされない戦役だが、

非常に重要である。

 

この参合陂の戦い前夜において、

慕容垂の後燕は華北統一に関して、

優勢な状況であった。

 

384年に苻堅から独立した慕容垂。

民族が異なるからということで独立という言葉が

合っているように見えるが、要は慕容垂が苻堅を裏切り、

見捨てて、自立したということである。

 

●参合陂の戦い前夜時点で圧倒的に優勢な慕容垂。

 

慕容垂は、

約10年かけて、

華北の主要部分を押さえていた。

 

残る勢力は、関中の姚興(姚萇の子)、代の北魏拓跋珪であった。

 

慕容垂は苻堅から自立すると、

早々に慕容垂出身の鮮卑慕容部の故郷、遼東を掌握。

河北から苻堅の前秦勢力を駆逐。

 

河北エリアを押さえていた。

 

本来の鮮卑慕容部の正統な後継政権、西燕を394年に滅ぼし、

慕容垂は名実ともに鮮卑慕容部を代表する立場となった。

河北と幷州、幽州、遼東・遼西、山東を押さえ、

慕容垂は絶対的に優勢な状況であった。

 

時に慕容垂、68歳。

 

次に慕容垂がターゲットにしたのが北魏であった。

 

●北魏の自立を絶対に許すことのできない慕容垂。

 

北魏は元々後燕慕容垂に従属していた。

386年に鮮卑拓跋氏は代として自立、その後魏(史上北魏と呼ばれる)に

国号を変更するが、これには慕容垂も噛んでいたと考えるのが

妥当である。

 

それが391年に馬の貢納を巡って、対立し、手切れとなっていた。

後燕慕容垂が北魏に馬を要求したが、北魏拓跋珪が拒否したためだ。

 

このエピソードに関しては、

慕容垂の傲慢さがピックアップされる。

 

北魏の朝貢使節、拓跋觚(たくばつこ)を抑留して、

慕容垂が馬を要求したというものである。

 

これに拓跋珪は断固として拒否し、

慕容垂の不倶戴天の敵、

西燕と手を組んで、後燕慕容垂に反旗を翻すというものである。

 

これには少々疑問符がつく。

 

まず、この拓跋觚という人物であるが、

拓跋珪の異父弟である。

 

ただ後に、この使節団の一人でもあり、

拓跋觚の兄拓跋儀(たくばつぎ)は409年に拓跋珪に殺されていることから、

拓跋珪から見てこの別系統の一家と決して仲が良かったわけでは

ない。

 

拓跋觚自身は慕容垂に抑留はされているものの、慕容垂存命中には殺されなかった。

慕容垂の死後、後燕における内乱の中で、

397年に殺されているが、それまでは後燕において

生きていたのである。

 

慕容垂の傲慢というわかりやすいエピソードで済まされる話ではなく、

後燕と北魏という国同士の戦略的対立という視点があるということに

ここでは留めさせていただきたい。

 

後に北魏の歴史からこの件を考えたいと思う。

 

尚、拓跋珪の父、拓跋寔の母は慕容垂の姉か妹である。

 

拓跋珪にとって慕容垂は母方の大叔父に当たるのだ。

 

拓跋寔は北魏の前身政権、代が滅びる前の371年に早死している。

これを継いだ拓跋珪は

鮮卑慕容部からすれば、

北魏において鮮卑慕容部の利権を代行する立場にある。

 

なのに、これが手切れになったのだ。

 

慕容垂は鮮卑慕容部の長年の従属国が、

不倶戴天の敵である西燕に鞍替えしたのだから、

許せるものではない。

 

慕容垂からすれば何の得もない。

 

どちらかというと、

ここは北魏拓跋珪の方が、自立の賭けに出たと見たほうが

辻褄が合う。

 

慕容垂の後燕優勢の情勢に、

血気盛んな北魏拓跋珪が反旗を翻したのである。

 

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