歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

正史三国志と三国志演義の違い①正史三国志では困る、まで。

 

 

 

●正史三国志と三国志演義の違い。

 

正史三国志は、

晋初に成立している。

著者は陳寿。

陳寿は蜀の出身だが、

蜀が滅びたことにより晋に仕えることになった。

不遇をかこっていたが、

張華に認められ世に出る。

 

しかしながら、陳寿は晋が滅ぼした亡国の臣。

 

張華は西晋において決して本流ではなく、

陳寿は結局順調に昇進することなく、

正史三国志の執筆に専念する。

 

 

出来上がった陳寿の三国志を

西晋が認めて、正史になったという経緯である。

 

一方、

三国志演義は時代を下り、

明の初めに成立。

著者は羅漢中だが、実在が疑われている。

「演義」という言葉自体に小説という意味合いが含まれる。

白話(つまり口語調)での小説はインパクトが強く、

こちらの内容が広く一般的に認識される。

これは現代でも変わらない。

 

 

●魏に配慮する陳寿

 

こうした経緯なので、

陳寿は当然西晋に配慮した文章を作る。

 

西晋が認めるような形にしたのかどうかはともかく、

西晋が認められるような内容という評価が出たことが重要である。

 

西晋にとって問題ない歴史が書かれていることになる。

 

 

西晋は魏の禅譲を受けて皇帝の位を受け継ぐ。

 

となれば、魏も正統で誤謬がないとまずいわけである。

 

陳寿は魏が正統という歴史を描くことになる。

 

曹操の台頭、曹丕の禅譲などを正統化、正当化するための内容に

する必要がある。

 

●本音は蜀漢も書きたい陳寿。

 

しかし、陳寿の場合それだけではなかった。

 

陳寿は魏の人ではなかったのである。

 

蜀漢出身の人間で、

当然蜀漢の事情に精通していた。

 

陳寿の師匠は、蜀漢の大学者譙周である。

 

西晋に叱られない範囲で、

蜀漢の歴史や人物伝についても記述したいというのが人情である。

 

魏、西晋の「天命」にはかなわなかったものの、

蜀漢もある程度は頑張ったという記述になる。

 

余談だが、これで割りを食うのは、

呉である。

 

呉の歴史を代弁するベクトルは、

正史三国志には見当たらない。

 

三国志の世界において、

呉の影が薄いのはこうした事情もあるのである。

 

●東晋半ばにこの史観に修正が起きる。

 

魏の曹操、曹丕の功績により、

後漢から禅譲を魏は受ける。

 

しかしながら、

魏の苛烈な政治は支持を失い、

その天命は西晋へと移る。

 

陳寿の正史三国志は、

この流れを正当化するためのものであった。

 

しかし、陳寿は蜀漢出身なので、

蜀漢もちょっと頑張ったというエッセンスが入る。

(陳寿の父は、馬謖の幕僚だった。街亭の戦いで敗戦した時に

馬謖は諸葛亮に処刑されたがそれに連座している。)

 

しかし、これではまずい事態が起きた。

 

それは東晋半ばにおける桓温の台頭である。

 

東晋は、西晋とは名前が違うが、

同じ王朝である。

 

西晋=東晋であり、

西晋が天命を受けた経緯ももちろん受け継ぐ。

 

それでよかったのだが、

桓温が魏の事実上の開祖、曹操のように

見えてきたことから、

話が変わってくる。

 

簡単に言えば桓温が曹操、というのはまずいのである。

 

曹操は、魏の礎を実力主義で作った人物である。

 

曹操は、周公旦のように輔弼の臣として歴史に名を残すことも

可能だったが、

それはしなかった。

 

曹操は魏王に昇り、事実上の独立政権を保持。

禅譲への道筋をつけて、曹丕に後を継がせる。

 

完全な実力主義を基に、

最終的には天命を受け継ぐという禅譲という名目を

認めさせた。

 

つまり、

実力主義を認めているわけで、

西晋自身も実力行使の結果成立しているので問題はなかった。

 

しかし、

それが、

西晋・東晋以外の人物がこの理屈を持ち出してくると問題である。

 

桓温は、そのような理屈を振りかざしたわけではなかったが、

桓温の台頭を嫌った勢力が桓温を叩くために、

史観を変える。

 

●蜀漢正統論の始まりは桓温批判のため。

 

 

そこで、

曹操に模される桓温を叩くために、

曹操を叩く必要が出てきた。

 

桓温は、成漢討伐の成功、

長安包囲など高い軍事的実績を挙げて、

高位に昇った。実力で勝ち得たものである。

さらに桓温は曹操と同郷であり、

桓温は曹操を思い出させるのに十分な人物であった。

 

曹操を批判するには、

曹操・曹丕父子が後漢から禅譲を受け、それを西晋が受けたという

理屈(史観)を変えなくてはならない。

 

ここにおける東晋のゴールは、

東晋の正統性、無謬性(間違いがないこと)、そして王朝の永続性である。

 

そのためには

禅譲という手段を否定する必要がある。

禅譲だけがこの時点で王朝交代の正当手段だったからである。

 

 

魏の禅譲は正当ではなかった。

しかし皇帝になっている事実は既に周知されているので、

これは簒奪だとする。

 

となれば、

後漢の持っていた天命はどこにいったか。

 

蜀漢が受け継いだとするわけである。

 

後漢の持っていた天命は

魏に踏みにじられた。

 

魏に踏みにじられた、これは簒奪だと

当時からしていたのが、蜀漢劉備である。

 

曹丕の禅譲は認めない。

後漢献帝の消息が不明なので、

これは殺されたのだろう。

 

漢の天命を継ぐとして劉備は皇帝に即く。

 

陳寿の記述通り、蜀漢は頑張ったが、

魏の勢威に勝てず。

最後は司馬昭を総大将とした魏の討伐軍が

蜀漢を滅ぼす。

 

ここで、司馬昭は、蜀漢皇帝劉禅が持つ天命を受け継いだとする。

 

まだ魏の臣である司馬昭が、

ここで劉禅から個人的に天命を受けるという

少々無理なロジックであるが、

これも西晋・東晋の永続性主張のためだから仕方がない。

 

これを著したのが、「漢晋春秋」である。

習鑿歯(しゅうさくし)が著者とされているが、

この人物も三国志演義の羅漢中と同じく、実在が疑われている。

 

 

www.rekishinoshinzui.com

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漢晋春秋は、上記のような経緯の史書であるので、

政治的な背景が強い。

この習鑿歯という人物は実際には実在せず、

誰か政治的な意図を受けて著述したものだと私は考えている。

 

こうして、

東晋の史観変更により、

蜀漢が正統となった。

 

前漢、後漢、蜀漢、

そして西晋・東晋と

いわゆる漢民族の王朝としての永続性を主張する。

 

これは東晋が滅びた後の、

南朝は宋、斉、梁、陳のいずれも同じである。

 

しかし、陳を滅ぼして、

中華を統一する隋唐は、

鮮卑の王朝である。

 

北朝の正統性を継ぐことになる。

 

本来はここで蜀漢が正統なのか、魏が正統なのかといった

議論は雲散霧消に消えていくはずだった。

 

【②に続く】

 

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●参考図書:

 

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