歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

1637年朝鮮国王が清のホンタイジに完全従属した日 大清皇帝功徳碑(三田渡の盟約)

 

ホンタイジの怒り~大清皇帝功徳碑(三田渡の盟約)~

 

大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ)

別名、三田渡碑(さんでんとひ、朝鮮名サムジョンドビ)、

韓国では別称、恥辱碑とも言われている。

 

 

先日ソウルに行って来たときに見に行ったのが、

 

大清皇帝功徳碑(三田渡碑)

である。

 

これは

清の二代目ホンタイジが、1637年李氏朝鮮を攻め大勝利を挙げた際に、

作らせたもの。

 

石碑に記載の文面の要旨は下記の通り。

 

●大清皇帝功徳碑(三田渡碑)の要旨。

 

■清に服属せよ。

 

明の命令と印璽を清に返還、通交を断ち、明の年号を捨て去って、清の暦に合わせろ)

汝(爾。朝鮮国王のこと)の長子とその次の子を質に出せ。諸大臣で子がある者は子を、ないものは弟を質に出せ。)

万が一汝が病などで倒れた際には、人質を後継者として立ててやる。)

 

暦を合わせるということは、その暦を主宰する人の時という時代に合わせるということである。

これは中華皇帝独特の考え方であるが、従属せよということである。

人質に出して、国王に何かあったときには、人質を後継者にする、つまり、

清が後継者を決める決定権があるのと同義である。

 

■明を攻めるので従軍せよ。

 

朕(ホンタイジのこと)がもし明を征服するために兵を出したら、詔を下して使者を出すので、)

朕が今回兵を出して、椵島【鴨緑江にある島】を攻めとるときには、汝は船を50隻出せ。水兵、槍、弓は自分で準備せよ。)

兵を多く回して、貢献しなさい。

 

タダ働きで、今まで従属してきた明に対して率先して戦えということである。

 

■朝鮮の民は清のもの。

 

皇帝の誕生日、正月、冬至、中宮と太子の誕生日、また慶弔の時には、

祝賀せよ。

軍の捕虜で、鴨緑江を過ぎた後に、こちらの朝鮮に逃げ帰ってきた者があれば、

送り返せ。※ホンタイジは数十万の捕虜を連れて帰った。

⇒もう朝鮮の民は、朝鮮王のものではない、ということ。

 

清の諸臣と婚姻関係を結んで、友好を強めよ。

 

■自衛権を剥奪する

 

新しい城壁や修繕は許さない。

 

⇒これは1615年に江戸幕府が発布した武家諸法度と同じで、

もう勝手に軍備を整えるなということである。独立した軍事権のはく奪

 

■日本との貿易はしていいから上前をよこせ。

 

日本との貿易は許す。

 

→これは朝鮮が持っていた非常に大きな権益である。

日本との交易権は朝鮮、明を潤したが、これを清に移管せよというおとである。

 

清にこれらを貢納すべき。

黃金一百兩、白銀一千兩、水牛角弓面二百副、豹皮一百張、鹿皮一百張、茶千包、

水㺚皮四百張、靑皮三百張、胡椒十斗、好腰刀二十六把、蘇木二百斤、好大紙一千卷、順刀十把、

好小紙一千五百卷、五爪龍席四領、各樣花席四十領、白苧布二百匹、各色綿紬二千匹、各色細麻布四百匹、

各色細布一萬匹、布一千四百匹、米一萬包爲定式。

⇒最後に貢納の物品の羅列である。

 

 

 

●大清皇帝功徳碑の原文

 

寬溫仁聖皇帝, 詔諭朝鮮國王。

(皇帝ホンタイジは朝鮮国王に詔を賜う。)

來奏, 具述二十日之詔旨,

憂計宗社、生靈, 有明降詔旨, 開安心歸命之請者, 疑朕食言耶?

然朕素推誠, 不特前言必踐, 倂與以後日之維新。

今盡釋前罪, 詳定規例, 以爲君臣世守之信義也。

爾若悔過自新, 不忘恩德, 委身歸命, 以爲子孫長久之計,

則將明朝所與之誥命、冊印獻納, 絶其交好, 去其年號, 一應文移, 奉我正朔。

(明の命令と印璽を清に返還、通交を断ち、明の年号を捨て去って、

清の暦に合わせろ)

爾以長子及再一子爲質, 諸大臣有子者以子, 無子者以弟爲質。

(汝(爾。朝鮮国王のこと)の長子とその次の子を質に出せ。

諸大臣で子がある者は子を、ないものは弟を質に出せ。)

萬一爾有不虞, 朕立質子嗣位。

(万が一汝が病などで倒れた際には、人質を後継者として立ててやる。)

朕若征明朝, 降詔、遣使, 調爾步ㆍ騎、舟師, 或數萬、或刻期會處, 不得有悞。

(朕(ホンタイジのこと)がもし明を征服するために兵を出したら、

詔を下して使者を出すので、)

朕今回兵, 攻取椵島, 爾可發船五十隻, 水兵、槍砲、弓箭, 俱宜自備。

(朕が今回兵を出して、椵島【鴨緑江にある島】を攻めとるときには、

汝は船を50隻出せ。水兵、槍、弓は自分で準備せよ。)

大兵將回, 宜獻犒軍之禮。

(兵を多く回して、貢献しなさい。)

其聖節、正朝、冬至、中宮千秋、太子千秋及有慶弔等事, 俱須獻禮, 命大臣及內官, 奉表以來。(皇帝の誕生日、正月、冬至、中宮と太子の誕生日、

また慶弔の時には、祝賀せよ。)

其所進表、箋程式及朕降詔勑, 或有事, 遣使傳諭, 爾與使臣相見,

或爾陪臣謁見及迎送、饋使之禮, 毋違明朝舊例。

 

軍中俘係, 自過鴨綠江後, 若有逃回, 執送本主。

(軍の捕虜で、鴨緑江を過ぎた後に、

こちらの朝鮮に逃げ帰ってきた者があれば、送り返せ。)

若欲贖還, 聽從本主之便。 蓋我兵死戰、俘獲之人, 爾後毋得以不忍縛送爲辭也。

與內外諸臣, 締結婚媾, 以固和好。

(清の諸臣と婚姻関係を結んで、友好を強めよ。)

新舊城垣, 不許繕築。

(新しい城壁や修繕は許さない。)

爾國所有兀良哈人, 俱當刷還。

日本貿易, 聽爾如舊。

(日本との貿易は許す。)

但當導其使者赴朝, 朕亦將遣使至彼也。

其東邊兀良哈避居於彼者, 不得復與貿易, 若見之, 便當執送。

爾以旣死之身, 朕復生之。

全爾垂亡之宗社, 完爾已失之妻孥, 爾當念國家之再造,

異日字子孫孫, 毋違信義, 邦家永奠矣。

朕因爾國狡詐反覆, 故玆敎示。 崇德二年正月二十八日。

歲幣以黃金一百兩、白銀一千兩、水牛角弓面二百副、豹皮一百張、鹿皮一百張、茶千包、

水㺚皮四百張、靑皮三百張、胡椒十斗、好腰刀二十六把、蘇木二百斤、好大紙一千卷、順刀十把、

好小紙一千五百卷、五爪龍席四領、各樣花席四十領、白苧布二百匹、各色綿紬二千匹、各色細麻布四百匹、

各色細布一萬匹、布一千四百匹、米一萬包爲定式。

(清にこれらを貢納すべき。)

 

 

 

 ●江戸時代の藩に近い扱いの李氏朝鮮。

 

結論から言うと、

李氏朝鮮の位置づけは、

日本の江戸幕府統治下における、藩に近い。

 

跡継ぎの任命権は幕府にあった。

後継者とその母は江戸に常駐である。

城郭を修築する際には必ず届け出が必要であった。

戦争をする際には、幕府の命令に従って、兵を出す必要があった。

 

朝鮮は日本との交易権を持っているので、

江戸幕府の下で近い藩は、

琉球との交易権を持つ薩摩藩、

アイヌとの交易権を持つ松前藩、

朝鮮との交易権を持つ対馬藩、

この四つが近い。

 

言い方の違いで、

日本の概念で考えれば、

薩摩藩程度の独立権しかなかった。

 

その朝鮮が明を離れて清に服属する。

 

江戸幕府に服属していた薩摩藩が突如清の侵略を受けて、

清の傘下に入る。

それに伴って、ルールがたくさん変わる、

という話である。

 

この大清皇帝功徳碑(三田渡碑)

はソウルの南東、漢江の南側にある。

 

ここで、

三跪九叩頭という、いわゆる土下座で受けるという恥辱を朝鮮は味わった。

 

城下の誓いというが事実上の無条件降伏を朝鮮はしたのである。

 

●何故この大清皇帝功徳碑(三田渡碑)に至ったか。

 

 

・1627年丁卯胡乱

 

ホンタイジは父ヌルハチの後を受けて、後金国の君主となる。

ヌルハチは明から独立して満州に拠点を持っていた。

 

朝鮮は明に服属する国家であるので、

後金が西の明に向かおうとすると、後方を攪乱していた。

 

これに業を煮やしたホンタイジはアミンに3万を預け、1627年朝鮮を攻撃。

平壌、ソウルまで陥落させ、江華島に仁祖は逃亡。これを囲んだ段階で朝鮮と和睦する。

後金と朝鮮は兄弟の契りを結ぶ。また、朝鮮は明の元号を使わないことを約束させられる。

つまり、明からの服属をやめろという意味であった。

 

実はこの両国は二つとも女真族の国である。

 

李氏朝鮮の始祖李成桂は女真族として朝鮮に服属していた武将である。

 

この戦いを、丁卯胡乱(ていうこらん)と呼ぶ。

 

・ホンタイジ、1636年清を建国。

 

 

こののち、ホンタイジは西に侵攻。

遼西を押さえる。

更にモンゴル方面へ侵攻。

 

モンゴル(北元)は、当時リンダン・ハーンの時代。

ホンタイジはリンダン・ハーンに対して優勢だったが、

後にリンダン・ハーンは明に従属。

それに怒るホンタイジは再度リンダン・ハーンを攻撃するも、

その出征の途上、

ホンタイジはリンダン・ハーンの病死を知る。甘粛省の武威で死去した。

 

主亡きリンダン・ハーンの軍勢をホンタイジは捕捉、投降させる。

ここでリンダン・ハーンの皇后から、ホンタイジは元の玉璽を渡される。

 

明は漢人の皇帝の国であるが、

モンゴルが作った元という中華を支配する国は、

モンゴル高原でそのまま存続していた。

 

なので、

二つの天命が両立していたことに注意していただきたい。

 

さらに元はモンゴル帝国という広大な世界帝国を支配したという実績がある。

 

世界視点で言えば、元の天命の方が上位である。

 

これをホンタイジが受けた。

 

それで、ホンタイジは清を建国。1636年のことである。

モンゴルのハーン名は、セチェン・ハーン。

フビライハンと同じ称号である。

中華には皇帝として臨む。

 

●1636年~1637年丙子の乱

 

中華世界の皇帝となったホンタイジ。

 

李氏朝鮮はこれを認めなかった。

 

 

服属したと思っていた朝鮮が、皇帝ホンタイジを認めない。

これにホンタイジは激怒。

 

ホンタイジ自身が今度は親征して朝鮮へ攻め込む。

 

皇帝になってすぐに刃向かったのだから格好のターゲットである。

最初に血祭りにあげられることに朝鮮は決まった。

 

ホンタイジは1636年12月に瀋陽を起ち、

たったの二か月で、朝鮮国王仁祖を完全降伏させた。

 

これが三田渡の盟約である。

 

 

●李氏朝鮮にとっての大清皇帝功徳碑(三田渡碑)

 

 

当然のことながら、

朝鮮にとって非常に屈辱的な内容であった。

 

その証拠に、

大清皇帝功徳碑(三田渡碑)

の裏側、こちらは漢文で書かれているのだが、

どうも自然劣化ではない形で、文字が見えなくなっている。

 

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↑上記は見えにくいが漢文が消されている部分がある。筆者撮影。

 

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↑表面。筆者撮影。

 

なお、表面はモンゴル文字と満州文字で書かれている。

モンゴル帝国、元を継ぐというホンタイジの意思がここにも現れている。

 

 

屈辱的な内容で、

大清皇帝の功徳とまで言わされたこの石碑。

 

歴史から消去したいという朝鮮の人たちも気持ちもわからなくもない。

 

 

しかしホンタイジとしては、

朝鮮に裏切られわけである。

さらに同族という近親だからこその憎悪もあり、怒りが収まらない。

我に逆らうものはこうなるぞ、という象徴的な意味でも

ホンタイジにとってはこの石碑が必要だった。

 

この石碑の台座には、非常に大きな亀の石像がある。

 

簡単には動かせない石像である。

 

亀は万年である。

永遠を暗喩する。

 

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 ↑台座の巨大な亀。どうやって持ち運ぶのかと考えてしまうほど。筆者撮影。

 

この石碑を永遠に朝鮮に置く、

これがホンタイジの意向であった。

 

 

●大清皇帝功徳碑(三田渡碑)を地中に埋める大韓帝国

 

のちに、日清戦争の結果、朝鮮は大韓帝国として独立する。

この時、皇帝高宗はこの石碑を地中に埋める。

なお同じタイミングで、ソウル北東にあった迎恩門を破壊している。

 

朝鮮が初めて独立国になったこの瞬間、

この石碑は不名誉なものでしかなかった。

 

 

しかし、この日清戦争による朝鮮独立は、

日本の対露防衛という位置づけである。

 

朝鮮の思惑とは別に日本、ロシア、清といった大国の思惑が勝手に進んでいく。

 

 

 

●日中に振り回される大清皇帝功徳碑(三田渡碑)

 

 

朝鮮は、日露戦争の結果、日本の権益圏となる。

 

結末は、日本による韓国併合であった。

 

 

この際に、日本の指示で、この石碑は地中から掘り起こされる。

 

この碑文の内容は、日本が日清戦争に勝ったことにより、

全て破棄となった。

日本としてはそれをアピールしたかったのだろうか。

 

それから百年。

落書きされたり、若干設置場所を変えたり、紆余曲折ありながら、

現在に至る。

 

日本には幸いにもこうした歴史的建造物はない。

あってもおかしくはないが、もし存在していたとしたならば、

大変なことである。

 

これを設置し続けなければならない、朝鮮の悲しみを感じる。