歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

姚萇、苻堅殺しの大チョンボ~羌族の仲良し姚氏~

 

 

●王猛の死後、苻堅に重用される姚萇羌族集団。

 

王猛の死後、姚萇率いる羌族集団は、

前秦苻堅に重用される。

 

376年、前涼討伐。

378年、苻丕による東晋の襄陽攻略戦。鮮卑の慕容垂とともに。

383年、淝水の戦い。

 

今まで前秦苻堅の重要な戦役に従軍していなかったのに、

375年の王猛の死を境に目立った動きをし始める。

 

 前秦苻堅からすれば、

中華儒教皇帝として、仇敵でも活用するというのは

度量が広いことを内外に示すことになる。

 

●前秦苻堅帝国の崩壊。

 

 

姚萇率いる羌族集団は成果を上げるも、

前秦苻堅は淝水の戦いにおいて大敗を喫す。

 

慕容垂が前秦苻堅を守って長安まで戻ったとされ、

その後慕容垂は前秦苻堅と別れるが、

見方を変えれば、苻堅は慕容垂に人質にとられているようなものだ。

 

慕容垂としては、自分の配下で守っているので、

前秦苻堅を生かすも殺すも自由である。

 

苻堅としては慕容垂に河北の巡察に行きたいと言われても、

断る術はなかっただろう。

慕容垂の独立心を見抜いていたとしても。

 

こうして慕容垂が離反したことで、

前秦苻堅の勢力はほころび始める。

苻堅は帝都長安に戻るも、

今度は慕容垂に同調して、長安周辺にいた慕容泓が自立の傾向を見せる。

 

同族の慕容垂が離反、独立。

当然、同族である慕容泓は苻堅から命を狙われるリスクを背負う。

兄で元前燕皇帝の慕容暐の意向を受けて立ち上がる他なかった。

 

●鮮卑慕容部の慕容泓VS姚萇羌族集団。

 

この慕容泓の反乱に対して、

前秦苻堅の子、苻叡を大将として姚萇率いる羌族集団が攻めかかる。

 

 

当時の最強集団同士の戦いである。

 

慕容泓たちは、前燕の復国、故郷への帰還がかかっていた。

孤立無援の慕容泓はいわば死兵と化している。

 

対する姚萇率いる羌族集団には、モチベーションがなかった。

前秦苻堅の敗北に関して、彼らはモチベーションない。

 

この辺りが羌族姚氏の独立性と言ってよい。

前秦苻堅になびくことは結局なかったのだ。

 

姚萇は苻叡に慕容泓に当たらないことを進言するも拒否される。

死兵と化した慕容泓集団を攻撃するも敗北。

 

孤立無援の鮮卑慕容部集団の慕容泓は、

必死の思いで姚萇率いる羌族集団を撃退したのだ。

 

姚萇にとってはさらにまずいことに、

苻堅の子で総大将の苻叡がこの戦いで戦死する。

 

前秦苻堅からすれば、

姚萇たちがまともに戦わなかったのではと疑うのは当然である。

 

姚萇は敗退と苻叡の戦死を伝える使者を前秦苻堅に送るも、

苻堅はこの使者を斬る。

 

これで姚萇は離反せざるを得ず、自立する。

 

●姚萇の大チョンボ。その1 「秦」

  

384年4月に姚萇は前秦苻堅から自立する。

積極的に自立をするというよりも、

上記のようにやむを得ない事情からであった。

 

姚萇は、

長安を北に渭水を渡河、北方にある馬牧に逃れる。

 

ここで胡漢の諸部族に推戴され、姚萇は自立する。

称号は、大将軍、大単于、万年秦王である。

 

姚萇が姚弋仲並みに漢人とは、中華とは、皇帝とは、

に関して見識があったかはわからない。

 

・秦はまずい。

 

しかし、この名称は非常にまずい。

 

何がまずいのか。

 

「秦王」である。

 

 

苻堅は前秦の皇帝である。

「前」とあるが、これは羌族姚氏の「後」秦に対して、

前の秦という意味である。

 

苻堅にとっては前も後ろもないので、当時は秦の皇帝苻堅である。

 

さらに言うと、秦の王であったので、秦の皇帝と呼ぶが、

皇帝となったからには秦も何もない。

 

皇帝というのは万物の所有者である。

どこを領地にすると言う考えがないのである。

 

「前秦」皇帝、苻堅とするのは、ただの識別上の問題で、

本来はただの、皇帝苻堅である。

 

ややこしいが、

つまり建前と実態があるということだ。

 

なので、秦という名称は、皇帝苻堅を指す通称ということになる。

 

秦=苻堅。

 

これを踏みにじる行為をしたのが姚萇である。

 

姚萇は万年秦王を名乗る。

 

理由は三つ。

王の中の王、天王を名乗るには、まだ実態がないので、

厳しい。

皇帝をいきなり名乗るのは、漢人勢力の支持を得にくい。

しかし、秦王だけでは弱いので、万年という言葉を使って、

王朝、天王、皇帝がそれぞれ持つ永続的な印象を持たせたのである。

 

秦の王でそれは万年だ。

 

これは苻堅に対する完全な敵対行為なのである。

 

例えば慕容垂が燕の王を名乗るのとは全くわけが違う。

慕容垂は燕という自分の故郷の国を復興させたかったと言えば

言い訳が立つ。

 

苻堅なのか、それとも最後の前燕皇帝慕容暐に憚ってなのかはわからないが、

慕容垂は皇帝を名乗っていない。

 

これは慕容垂にとっては非常に現実的な判断であった。

 

皇帝を名乗っていなければ、

皇帝である苻堅は自分の世界で、身内で戦いあっている、

最後には皇帝苻堅が戦いをやめなさいと言って、

慕容垂が止めますと言えば、皇帝苻堅としては体面が保てるのである。

 

慕容垂としては、これはただの内輪揉めでした、すいません、と言える

逃げ道を持っていることになる。

 

慕容垂は皇帝と王の違いを認識していた。

この知識を活かして、政治対立に活かすことができた。

それは慕容垂を引き上げてくれた、兄慕容恪の指導なのだろう。

 

慕容垂は知っていたことを姚萇は知らなかったのだろう。

 

姚萇は大チョンボを犯した。

 

姚萇からすれば、本籍の国名を、王朝名にすると言うぐらいの気持ちだったはずだ。

確かに本籍の南安を国名で言えば秦である。

 

秦王と名乗れば、苻堅は絶対に見過ごせない。

これにより、苻堅は河北を慕容垂にくれてやって、

関中だけを手元に残すという手段にまでリスクが及んだのである。

 

さらに、

中華皇帝として振る舞おうとした苻堅にとっては、

この称号問題は絶対に見逃せない状況であった。

 

しかしながら、

苻堅には長安周辺に手持ちの兵がいなかった。

出身部族の氐族の大半は、

河北の旧前燕領に配置していた。

 

大混乱である。

 

苻堅は元前燕皇帝の慕容暐を使って、

鮮卑慕容部を従属させようとするも失敗。

384年12月に苻堅は慕容暐を処刑。

 

しかし、これによりさらに慕容泓の系譜の西燕を勢いづかせ、

長安に攻撃を受ける。

東晋の謝安に救援を求めるほどの窮地に陥る。

東晋の援兵は間に合わず、

385年5月苻堅は最後には長安を脱出する。

長安は西燕の手に落ちる。

 

苻堅は長安北西の五将山に逃れるも、

これを知った姚萇が苻堅を捕縛する。

385年7月のことである。

 

●姚萇の大チョンボ。その2

 

姚萇は苻堅を本拠の新平県(今の咸陽市周辺)に連行し幽閉する。

 

姚萇はここで苻堅に禅譲を迫る。

しかし、苻堅はそれを拒否。

 

この際に、苻堅は姚萇に対して、

「五胡の次序に汝羌の名はない」と言い放っている。

すなわち貴様など眼中にないと苻堅は言っている。

苻堅はよほど腹が立ったのだろう。

 

そして、

姚萇はこれに怒り、苻堅を縊り殺す。つまり首を絞めて殺した。

385年8月のことである。

 

これは、

姚萇にとってはまたもや非常にまずかった。

 

ここでは二つの点でまずかった。

 

●皇帝のなり方をしらない姚萇

 

まずこれでわかるのは、

姚萇は禅譲の仕方を知らなかったのである。

 

武力を用いて脅迫すれば、皇帝に慣れる、程度の禅譲に対しての認識しかなかった。

九錫などの三点セット、三度謙譲してやむを得ず受け入れるというような、

漢人文化の禅譲の儀式を知らなかった。

 

禅譲要請がもし苻堅に受け入れられたとしても、

その末路は司馬倫や桓玄と同じになってしまう。

 

そして、

姚萇は中華の政治史において、最大の悪行である皇帝殺しをしてしまった。

 

姚萇にとっては、

異民族の皇帝苻堅などは皇帝ではないという認識だったのかもしれない。

冉閔と同じだという感覚だったかもしれない。

 

しかし、漢人に認められてはいなかっただろうが、

徐々に漢化されつつある異民族の間では、苻堅は皇帝であった。

 

苻堅は、

石勒、石虎に続く、異民族の中華皇帝として勢威を伸ばした皇帝であった。

さらに苻堅は異民族であるよりも、中華文明に造詣がある皇帝として

振る舞おうとしていた。

 

苻堅は異民族として初めて、漢人皇帝らしく振る舞いたかった人物だったのである。

 

その成果もあって、

苻堅は異民族が勝手に僭称したのとは異なり、

皇帝としての要素を持ち始めていた。

 

本物の中華皇帝。

異民族であることが間違いない苻堅は本物の中華皇帝になることはできないが、

幾分か皇帝としての要素を持ち始めていたのである。

 

●皇帝は絶対に殺してはいけない。

 

皇帝は天子である。

 

天子は天の子として、天命を受けている。

そして皇帝として万物の所有者である。

 

この世の所有者で、これをどうするのかを

唯一判断することができる存在である。

 

これを殺すということは、

この世を殺すに等しい。

 

意識、無意識問わず、皇帝弑逆は天に唾する行為なのである。

 

●参考図書:

 

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

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歴史とは何か (第1巻) (岡田英弘著作集(全8巻))

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シナ(チャイナ)とは何か (第4巻) (岡田英弘著作集(全8巻))

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