歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

姚興の治世後半の落日。仲良し後秦羌族姚氏の末日。402年柴壁の戦い。

 

 

姚興は父姚萇が死去すると、

一気に領域を拡大する。

しかし、これは父姚萇がひたすら苦難に耐えたことの果実を

ただ、姚萇の子、姚興が手に入れただけだったのかもしれない。

 

成果視点で見ると、

下記の通り姚興はことごとく判断を誤ってしまうのである。

 

 

●後秦の運命を決める402年柴壁の戦い。

 

402年5月

柴壁の戦い。

 

姚興は弟の姚平を派遣して、

北魏が支配する平陽を攻撃する。

 

柴壁は平陽郊外の地名である。

この戦いは、後秦対北魏の、平陽を巡る河東争奪戦なのである。

 

・平陽、後秦にとって、北魏にとっての意味。

 

ここ平陽は後秦からすると、

支配する河東エリアに突き刺さる位置にある。

北魏の最前線、当時の最南端である。

後秦にとっては

非常に目障りな場所にある。

 

北魏は代の平城(大同市)に本拠を置く。

その南に、雁門関を越えると太原がある。ここが山西高原である。

それを更に南に行くと平陽がある。

さらに先に西に行くと、黄河渡河地点の蒲津がある。

北魏としては蒲津まで押さえれば、幷州の完全制圧が成り、

安定した領域となるが、そこまでまだ手が回らない。

 

河東の中心はこの平陽である。

春秋時代の晋はこの平陽周辺に首都を置いている。

西晋末期に五胡十六国時代の幕を開いた、

匈奴漢の劉淵が都を置いた場所でもある。

 

幷州全体を押さえる要の地なのである。

 

北魏にとっては、

黄河西岸までに進出するための重要拠点が平陽である。

後秦にとっては、

河東の支配のため押さえなければいけないのが

平陽である。

 

北魏は、後燕を事実上滅ぼし、河北を得ていたから、

そちらにかかりきりになっていた。

一気に勢力圏が拡大したため、この西の端の河東にまで手が回らない。

 

一方、

後秦は394年に前秦苻登を滅ぼしてから、

破竹の勢いで周辺勢力を取り込んでいった。

 

関中という絶対勢力圏を安定確保している後秦。

 

後秦にとっては、チャンスと言えばチャンスであった。

北魏がここまで手が回らない。

そうしたうちに、平陽を押さえて河東を制圧して、

北魏を河東から追い出してしまおう。

軍事戦略上の考えとしては至極当然である。

 

●柴壁の戦いにおいて後秦姚興の最大の誤算は拓跋珪の親征。

 

姚興は弟姚平に命じて、平陽攻撃。

これに対して、北魏は道武帝拓跋珪が平城から親征。

 

これが姚興の最大の誤算だっただろう。

名将揃いの叔父ではなく、弟を姚興が出した時点で、

この平陽攻撃は局地戦で済むと踏んだのではないか。

 

しかし、拓跋珪はそうはいかない。

卓越した戦略眼と、その機動性はこの時代随一である。

 

拓跋珪がすぐに腰を上げたことで、

参合陂の戦いに続く、北魏にとって第二の天下取りの戦いとなる。

 

拓跋珪は平陽南部の柴壁で姚平を包囲。

姚平劣勢の報を受けて、

姚興も常安(長安)から起ち親征する。

しかし、

弟姚平を救出できず、姚平の部隊は姚平含めて全滅した。

 

これは、後秦姚興と北魏道武帝拓跋珪の天王山の戦いである。

これに勝った北魏拓跋珪は、後秦との力関係が逆転し、攻勢に出る。

後秦姚興はこれを境に退勢していく。

 

●姚碩徳が404年南涼の服属で涼州をほぼ掌握。

 

404年2月、

 

涼州総司令官の姚碩徳が

南涼を服属させる。

これで後秦は涼州の大半を掌握。

 ●405年後仇池の服属。これで後秦の対外拡張は終焉。

 

405年7月、

姚碩徳が後仇池(武都郡方面に割拠)を攻撃。

後仇池君主の楊盛は大敗、

子の楊難当を人質に出して、後秦に服属する。

 

この後、後秦の、涼州含めた西方への攻略の総指揮を行ってきた、

姚碩徳が死去する。

 

これで、後秦姚興の対外攻勢が終わる。

 

●407年赫連勃勃の離反、自立。

 

 

407年に北魏との修好が成るも、

これを受けて、

同407年6月に赫連勃勃がオルドスで自立。

国号を夏とする。

 

赫連勃勃は父劉衛辰を北魏拓跋珪との戦いで亡くしていた。

そのため赫連勃勃は後秦姚興の下に逃れてきたのである。

赫連勃勃にとって、北魏拓跋珪は不倶戴天の敵である。

後秦姚興の、北魏との修好は許容できなかった。

 

●オルドスと涼州を失う後秦姚興。

 

この赫連勃勃の自立で、後秦姚興はオルドスから陝西北部までを失った。

 

後秦の首都、常安(長安)から見ると、真北にずっと行くと、

遥か遠くに黄河がある。

 

その黄河の南岸から、関中平野の北の山地、

現在の地名で言うと長征で有名な延安市の南に山地があるが、

ここまでの範囲を大きく失った。

 

●409年西秦の離反。

  

409年7月

鮮卑乞伏部で涼州東部(隴西、隴右とも呼ぶ)の西秦が

後秦から離反して、自立。

後秦はこれで涼州の支配権を失う。

 

●412年後仇池の離反。

 

412年には、

後仇池の楊盛も離反。

 

これら、夏・西秦・後仇池の自立に対して、

後秦姚興は懲罰できず、事実上の追認をするほかなかった。

柴壁の戦いを機に、

後秦姚興は一気に衰退していってしまったのである。

 

●南燕・蜀の服属と、東晋との対立。

 

407年南燕の慕容超が服属。

同年、蜀の譙縦が服属。

 

これらの勢力は、桓玄を滅ぼして、東晋の実権を掌握した劉裕の

圧迫を受け、姚興に助けを求めてきたのであった。

 

これらは外交的成果とは言い難かった。

 

服属させたと言えば聞こえはいいが、

これには大した実態はない。

東晋を皇帝(天子)として認めるか、

後秦姚興を天王(天子)として認めるかの違いである。

 

むしろ、このせいで、東晋と対立関係に入ってしまった。

劉裕の北伐ターゲットが北魏ではなく、

後秦になったのはこうした経緯のためである。

 

●鉄の結束羌族姚氏の内乱

 

409年、姚興の弟、姚沖が反乱を計画するも未然に察知、自死させる。

411年ごろから、

姚泓と姚弼の後継者問題。

原因は姚泓が文弱であることと、姚興が姚弼を寵愛したことによる。

414年に姚興が病に伏したのを見て、姚弼が反乱を計画。

姚弼の兄弟らは、これに応戦しようと備えるも、

父姚興が仲裁。姚弼も許し、鉄の結束、羌族姚氏もさすがに、

バラバラになる。再度の姚弼の反乱すら許す。

 

416年の姚興の臨終間際にも、姚弼は反乱を起こし、

病篤い姚興は最後の力を振り絞って立ち上がり、姚弼にようやく自死を命じる。

 

 

しかし時すでに遅しで、後秦羌族姚氏はまとまりを全く欠いていた。

 

 

●勢いを増す東晋と北魏に対して苦しい後秦。

 

413年、東晋の劉裕が蜀を制圧。

415年、東晋の宗族、司馬休之の亡命を受け入れる。

同415年、北魏拓跋珪の後を継いでいた明元帝に、

姚興の娘、西平公主を皇后として娶わせる。

既に後秦の退潮は明白で、北魏に対しては服属に近い状況であったが、

これで後秦姚興は体面を保ち、かつ東方からの脅威を取り除くことができた。

 

既に病がちであった姚興、最後の一手であった。

 

●姚興臨終に、後を頼めるのは一族で叔父の姚紹。

 

416年2月、

姚興は病死。50歳であった。

叔父姚紹に後を託す。

 

姚紹は姚興の叔父なので、姚弋仲の子である。

 

姚弋仲は352年に一説には73歳で死去している。

ということは、

姚紹は416年の時点で、64歳以上の年齢であるわけだ。

姚弋仲の死後、64年経ってもその実子が存命なことに驚く。

それも名将である。

 

姚弋仲の血のなせる業か、それとも家風なのか。

 

●参考図書:

 

 

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