歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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匈奴鉄弗部と鮮卑拓跋氏の因縁~赫連勃勃前史~

 

 

●赫連勃勃と、鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部の因縁。

 

鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部には因縁がある。

 

これがわからないと、後に出てくる赫連勃勃の立ち位置がわかりにくい。

後に、夏を建国する赫連勃勃は匈奴鉄弗部の末裔である。

 

赫連勃勃は北魏に故国を滅ぼされている。

赫連勃勃が亡命していた後秦は北魏と敵対関係にあったが、

滅びる直前に北魏と修好。

これを赫連勃勃は許せず、自立する。

こうした経緯がある。

さらに言うと、そもそもの因縁は赫連勃勃の祖先が、

前秦苻堅の軍勢を引き入れて北魏の前身、代を滅ぼしたからであるので、

初めに仕掛けたのは赫連勃勃出身の匈奴鉄弗部なのだが。

 

●匈奴鉄弗部の由来

 

匈奴鉄弗部。

後漢末の匈奴右賢王去卑の末裔である。

 

兄の羌渠が単于であった。

羌渠は後漢に忠実な単于であり後漢の黄巾の乱鎮圧要請にも

尽力した。

しかしその方針に不安を覚えた身内に殺害される。

その後を子の於夫羅、呼厨泉が継ぐが、

叔父にあたる去卑はその補佐に当たる。

 

去卑も兄同様後漢に忠実で、

後漢献帝が李傕らが治める長安から逃亡するとき、

それを支援している。

 

許昌にいた曹操の元に送り届けていた。

この際に曹操と去卑の間には信頼関係が生まれていたと考えられる。

 

のちに匈奴の呼厨泉単于は曹操に歯向うも鎮圧される。

 

216年からは去卑が曹操から匈奴本国の統治を任される。

単于の呼厨泉は曹操の本拠地鄴に拘留されたので、

事実上の匈奴単于と言って良い。

 

呼厨泉単于は漢地に拘留されたまま西晋年間に死去。

後継はいなかったようだ。

 

一方で、

匈奴本国の一勢力はこの去卑の子孫が率いていた。

これがのちに、匈奴鉄弗部を名乗る。

 

なお、於夫羅の子孫の劉淵は匈奴漢として自立するが、

これとはまた別の勢力を去卑の末裔が率いていたのである。

 

●劉虎 由来の怪しさ

 

匈奴鉄弗部の始まりは、

劉虎である。

 

劉虎は、

309年に匈奴鉄弗部の大人(つまり首長)を父から継ぐ。

去卑の孫である。

 

去卑の動静が伝わるのは、216年が最後である。

生没年は不明である。

ここの系譜上のつながりは

非常に曖昧であるということだけは言える。

 

匈奴の本流が匈奴漢として自立した今、

親中華の由来を持つ者は去卑しかいない。

 

この由来を利用した可能性はある。

匈奴漢はほぼ確実に系譜を改ざんしているので。

 

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●「鉄弗」とは

 

匈奴鉄弗部というが、

これは父が匈奴、母が鮮卑という意味である。

 

つまりは純然たる匈奴ではないということである。

劉虎は首長となった後すぐに

鮮卑の拓跋猗盧に従属する。

 

鮮卑拓跋氏の意向が入っていた勢力がこの匈奴鉄弗部だったのだろう。

 

しかし、

すぐに劉虎は、

鮮卑拓跋氏を裏切る。

 

鮮卑拓跋氏が従属していた劉琨を攻撃する。

 

劉琨は鮮卑拓跋氏に援軍を求め、

拓跋猗盧は匈奴鉄弗部の劉虎を攻撃。

劉虎は敗退し、匈奴漢の劉聡のもとに投降する。

 

ここに鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部の因縁が始まる。

 

●拓跋什翼犍に屈服させられる匈奴鉄弗部。

 

劉虎は再三鮮卑拓跋氏を攻撃するもかなわず。

341年にも攻撃するも、拓跋什翼犍に撃破され、

その後劉虎は死去。

 

子の劉務桓が後を継ぐ。

ここで、劉務桓は代の鮮卑拓跋氏に従属することを決意。

拓跋什翼犍は娘を劉務桓に与え、姻戚とする。

 

拓跋什翼犍としては不倶戴天の敵、匈奴鉄弗部をようやく傘下に収めた瞬間であった。

 

しかしながら、

劉務桓は狡猾であった。

拓跋什翼犍の娘を娶りながらも、後趙の石虎と密かに通交する。

拓跋什翼犍は後趙とは断交し、東晋と同盟関係であったから、

これは拓跋什翼犍に対する背信行為である。

 

とにかく、鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部はこのように、

相性が悪かった。

 

●赫連勃勃の父劉衛辰が鮮卑拓跋氏の代滅亡のきっかけを作る。

 

359年、劉衛辰が匈奴鉄弗部の首長となる。

劉衛辰は赫連勃勃の父である。

劉衛辰は拓跋什翼健の娘を娶っているので義理の息子ということになる。

 

しかしこれは弱肉強食の異民族社会ではそこまで意味をなさないようだ。

 

この劉衛辰が、前秦苻堅を引き込んで、

拓跋什翼健を滅ぼすことになる。

 

面従腹背の匈奴鉄弗部。

拓跋什翼健がこれに気付いていたかどうかはわからないが、

拓跋什翼犍としては

ひとまずは形だけでも従属していればいいという判断だったのでは

ないかと思われる。

 

それは、

匈奴鉄弗部の勢力範囲はオルドスであり、

鮮卑拓跋氏の領域からは地形的に隔たりがあるからだ。

 

鮮卑拓跋氏の重要拠点は、

平城と盛楽である。

 

今の大同市から北はウランチャブ、そこから西に行ってフフホト。

この領域が鮮卑拓跋氏の領域となる。

 

そこからフフホトから見て、南西に黄河を渡るとオルドスで、

別の領域となる。

 

ここオルドスは、名前がチンギスハーンのオルドの領域であったことから、

オルドスと呼ばれたことからもわかるように、

完全な遊牧エリアである。

 

鮮卑拓跋氏は半農半牧であり、

中華との交易を重要視する。

 

鮮卑拓跋氏にとって、あまり旨味のないエリアである。

基本的に、鮮卑拓跋氏は中華の方に顔を向けているのだ。

鮮卑拓跋氏としては、

匈奴鉄弗部が馬を供出する、もしくは交易すればまあよし、

ぐらいの感覚だったと思われる。

 

しかし、匈奴鉄弗部はそうはいかなかった。

 

●匈奴鉄弗部の南部、関中で勢力を増す前秦苻堅。

 

ここで、

五胡十六国時代前半期のハイライト、

苻堅の登場である。

 

苻堅は357年に即位する。

それまで前秦はまとまりを欠いていた。

 

苻堅が即位し、王猛を登用する。

苻堅は内政に専念、王猛は胡漢融合政策を推進。

前秦が力を持ち始める。

 

そうした359年に匈奴鉄弗部の首領となったのが、

劉衛辰である。

 

前秦と鮮卑拓跋氏の代に挟まれ、

苦境に立つ。

 

この両勢力の間に右往左往し、

最後は劉衛辰が苻堅に要請し、

前秦20万人が鮮卑拓跋氏を攻撃。

 

その先導を劉衛辰が行う。

 

拓跋什翼犍が病に伏していて、

親族同士で仲間割れをしたこともあり、

前秦は鮮卑拓跋氏を滅ぼすことに成功する。  

 

●参考図書:

 

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

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