歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。  

 

五胡十六国時代に始まり、唐太宗の時代に

胡漢融合は完了する。

 

胡漢融合の歴史を経緯と結論を下記に簡潔に示す。

 

●唐太宗の時代に胡漢融合が完成する。

 

中華皇帝の中でも著名な唐太宗。

その内実は色々であるが、

五胡十六国時代から続く、

中華の民族シャッフルを完成させた

時代の皇帝と言える。

 

五胡十六国時代・南北朝の政治テーマである、

胡漢融合の集大成を成し遂げたのが唐太宗の時代であった。

 

 

唐太宗が集大成にしたわけではない。

 

唐太宗に至るまでに、

数々の異民族の君主が、

苦労して胡漢融合を徐々に成し遂げ、

それが唐太宗の代で完成したという意味である。

 

唐において、

それまで異民族と呼ばれていた民族たちは姿を消す。

 

異民族が漢人となったことで、

胡漢融合は完成する。

 

 

●胡漢融合の歴史を簡潔に述べる。

 

中華が好きな劉淵の中華国家化。

だまれされても中華国家に従う鮮卑拓跋氏。

 

石勒の胡漢融合。不差別。

冉閔の故殺令という揺り戻し。【反動】

鮮卑慕容部の中華国家化。

漢族と異民族のハーフ、慕容恪により胡漢融合の成功。

前秦苻堅の名宰相、王猛は漢人として初めて胡漢融合を推進させる。

石勒、慕容儁、慕容垂、姚興の後継者が「文弱」なのは漢化したせい。

北魏道武帝と太武帝の、

異民族の強み・軍事力を保持しながら、

徐々に漢を取り込むという

新しい施策。

 

北魏孝文帝とその母、馮太后による、急進的な漢化政策。

その反動として、

北魏が持つ元来の軍事力の源泉、六鎮が北魏を事実上滅ぼす。【反動】

しかし、その軍閥を率いる高歓も、自身は鮮卑でありながら、

漢族と称した。初めて異民族の皇帝が、異民族の出自であることを隠した。

 

高歓に対抗する宇文泰は、鮮卑化。揺り戻し。【反動】

これは思想というよりも、高歓に対する対抗施策である。

軍事力を高めるには、鮮卑化、異民族に戻るしかない。

漢族すらも鮮卑化する。国家鮮卑化施策と、関中本位政策。

 

北魏太武帝が成功したように、

宇文泰は、

高い軍事力を保有。

結果、高歓の末裔が率いる北斉を圧倒。

その後、異民族国家らしく後継者争いで混乱。

外戚、つまり他部族の長、楊堅に国を取られる。

 

隋の楊堅は、

異民族の強み、軍事力を維持しながらも、

政治的には漢族皇帝として君臨。

 

つまり、

高歓と宇文泰のいいとこ取りをして、

中華統一。

 

しかし急速な中華統一は、

内乱を招き、

唐に取って代わられる。

大運河の開削などは必要なものとは言え、

当然民を疲弊させ、反発を招く。【反動】

 

これは、胡漢融合の最後の揺り戻しと言っていいと私は思う。

隋煬帝を打倒した唐を支えたのは、

異民族貴族集団の関隴貴族集団(武川鎮軍閥)だからである。

 

この揺り戻し、反動が、隋の煬帝の時代に起きてしまった。

それゆえ、隋煬帝は国を滅ぼし、後世に悪名のみを残してしまった。

 

 

 

●鮮卑による中華征服成る。

 

隋末の内乱の勝者が鮮卑出身のサラブレッド、

唐太宗である。

(唐太宗は、

父は武川鎮軍閥出身で、北周幹部の八柱国の血筋、

母は宇文泰の孫、

妻は、北魏宗族のトップ長孫氏である。)

 

但し、これも、異民族の他部族による乗っ取りでしかない。

 

事実上の唐の創業者、

唐太宗により、胡漢融合が国家的施策となる。

 

唐皇帝は最上の出自で漢族。

氏の序列化。

皇帝集権。科挙。

晋書の編纂で自己の正当化とともに、

自身が鮮卑であることを完全に隠す。

 

こうして、

胡漢融合は成立。

 

鮮卑による漢族完全制服はなったのである。

 

 

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