歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

中国は黄河・淮水・長江の三つの線で分断される。

南北に分かれて黄河・淮水・長江を取り合うのが、中華統一戦争である。

 

 

●中華統一戦争、三つの陣取り合戦

 

中華統一戦争を行う。 

 

その時にポイントとなるのが、

三つの河をどうやって乗り越えるか、である。

 

非常に簡略化して考えてみる。

 

北の本陣地を北京、

南の本陣地を南京、とする。

その間にあるのが、

北から黄河、淮水、長江である。

簡単に言えば、

南北どちらかの陣営がこの三つの河を掌握してしまえば、

勝ちなのである。

 

⬛️北京⬛️

 

==黄河==

 

==淮水==

 

==長江==

 

⬛️南京⬛️

 

北京の北には険しい山脈がある。

南京の南にも険しい山脈がある。

 

両都市とも、

広大な華北平原において、

南北の端にポジショニングしている。

 

北京陣営は黄河、

南京陣営は長江を抑えて、

初めて政権が成り立つ。

 

そして両陣営は、

黄河と長江の間を

巡って争い合う。

 

これが五胡十六国後期、北魏が登場した後の

南北の争いの構図である。

 

北魏の帝都は、

平城で、北京よりもさらに北西に山を越えたところにあるが、

大雑把な概観は上記のイメージで問題ない。

 

南は南京としたが、

当時の名称は建康である。

現代におけるこの長江の南と書いて、

江南の中心地は上海だが、

当時はまだ海の中、もしくは湿地帯である。

 

●黄河の押さえ方

 

黄河は、

場所によって激しい急流の場所もあれば、

緩やかな流れのところがある。

 

急流は渡河できないので、

緩やかな流れのところを狙いたいところだ。

 

しかし、

その場所は洪水多発地帯である。

 

都市が拡散していて、

湿地のため移動もままならない。

 

場所が限定されるのが

黄河の難しさだ。

 

出兵するにも季節を選ぶ。

 

孟津、白馬津、滑台、滎陽、

これらは渡河地点だったり、渡河地点を押さえるための

重要都市の名前である。

歴史上頻出する。

 

●長江のおさえ方

 

淮水の前に先に

長江から説明したい。

 

長江は結論から言うと、

舟なしに渡河するのは事実上難しい。

 

黄河のように流れに変化はあまりなく、

大きな海のようだ。

 

我々日本人にとって感覚的に近いのは、

瀬戸内海ではないだろうか。

 

河として見ようと思えば見える瀬戸内海。

 

あのぐらいの規模の河が長江である。

 

長江の場合、

蜀、今の四川省から湖南省に流れるとき、

結構な標高差を下った後

平野にたどり着く。

 

そこで洪水が頻発する。

湖北省、湖南省は地図で見るとわかるが、

大小沢山の湖沼が多いのはそのためだ。

 

武漢周辺には本当に沢山の

湖沼がある。

 

内陸でありながら湿地帯であることがわかる。

 

これらを掌握するのに船があれば非常にラクである。

 

江南には馬はいないが、

長江を中心として、湖沼を繋ぎ合わせれば、

舟で縦横無尽に移動ができる。

 

南方の人たちに舟は非常に身近なものだが、

北来の人たちからすれば、

全く未知のものである。

 

黄河周辺は湖沼などそもそもない。

 

舟は役に立たない。

 

このように文化背景が全く異なってくる。

 

このような事情で、。

長江を確保するには、

どうしても舟が必要になってくる。

 

日々の生活が水と関わっている以上、

どうしても、舟が必須となる。

 

長江を南にわたるにも舟がなければ事実上不可能である。

 

逆に言えば舟を押さえれば、

長江含めた江南は全て確保ができる。

 

長江の肝は舟なのである。

 

●淮水のおさえ方

 

淮水。

これだけは黄河と長江とは少し勝手が違う。

 

淮水といっても、

その河だけを指すのではなく、

淮水に注ぎ込む沢山の河川を含んだ意味合いだ。

 

淮水流域といった方が本来は正しい。

 

淮水は東に向かって、東シナ海に注ぎ込む。

この淮水に向かって、

大小様々な河川が注ぎ込んでいく。

 

魚の背骨に向かって、骨があるように、

この淮水流域が広がっている。

 

この淮水流域をたどって行けば、

洛陽にもたどり着くことができる。

 

真っ直ぐには行けないが、

水路をたどっていくのである。

 

淮水のこの水系は

複雑な地形である。

 

また黄河や長江と異なり、

淮水流域地域の大半は、

馬でも舟でも移動が可能だ。

 

だから南北の争奪戦が淮水で繰り広げられやすい。

 

●大運河の完成がこの3エリアを融合させた。

 

この淮水流域を

整備して、

長江から黄河まで繋げたのが、

隋の文帝楊堅・煬帝楊広が作った大運河である。

 

しかし、

それ以前にも、部分的には運河や整備された水路はあった。

 

それらを南北統一をした隋が、

一つに貫いた。

 

それが大運河である。

 

これにより、

各3エリアが完全分離できなくなった。

 

それにより、

各エリアによって、分離独立ができなくなった。

隋以降の中国史は、

大半が中華大陸とそれ以外、

の対立軸になるのはそうした理由である。

 

いわゆるチャイナプロパーと呼ばれる中国本土は、

隋の煬帝により完全融合されたのである。