歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

五胡の覇者が北魏439年

 

北魏の華北統一というが、

それよりも

北魏が五胡の覇者となったことの方が

歴史的意義は圧倒的に高い。

 

 

北魏の太武帝が、

五胡十六国時代を終焉させたのである。

 

●八王の乱の結果は五胡の台頭。

 

290年の八王の乱に始まり、

永嘉の乱で滅亡する西晋。

 

その後を五胡十六国時代と呼ぶ。

劉淵の304年の自立から五胡十六国時代と呼ぶケースもあるが、

わかりやすい区切りは、

西晋の事実上の滅亡313年であろう。

 

●●●西晋はいつ滅んだか。

 

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この際の西晋の滅亡理由は、

激しい宗族同士の争いにある。

 

この争いに、異民族勢力を巻き込んだことで、

じきに西晋が異民族勢力に乗っ取られた。

これが西晋の滅亡理由である。

 

その後は、

西晋勢力圏に入り込んだ、

各異民族が争いあう。

 

劉淵、

劉曜、

石勒、

姚弋仲、

苻堅、

慕容恪、

慕容垂、

拓跋珪。

 

ざっと上記の異民族首領の面々が

百数十年に渡って、

華北支配を巡って争う。

 

途中、

東晋の桓温がこの華北争奪戦に割って入るが、

これ以外に漢民族が入ることは基本的にない。

 

石勒が華北支配に王手をかけるも、

寿命のため頓挫。

苻堅は華北を支配するも、

淝水の戦いで東晋に足をすくわれる。

この後、

鮮卑拓跋氏勢力を復興させた北魏拓跋珪が、

後燕慕容垂との華北争奪に競り勝ち、

華北支配に関して優位に立つ。

 

皇帝集権を確立し強い軍事国家へと変貌した、

拓跋珪の北魏。

拓跋珪は華北を席巻するほどの

勢いを持ちながら、早死にする。

それは道教の錬丹術によるものであった。

●●●錬丹術

 

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若く、気力体力が充実した英主道武帝拓跋珪の

早死には確かに大きな損失だったが、

国家の存続という意味では功を奏した。

 

拓跋珪が作った北魏の皇帝集権が、

拓跋珪個人の力によるものではなく、

北魏という国家に帰属するものになる。

 

それは、

拓跋珪に続く、

明元帝、そして太武帝という両名君が

登場したという幸運も寄与する。

 

明元帝、太武帝が

道武帝拓跋系と同等、

もしくはそれ以上に

北魏を率いて、勢力を拡大した。

 

道武帝拓跋珪の時点で、

ほぼ華北は押さえていた。

 

これに明元帝、太武帝とうまく

政権継承することで、

むしろ、皇帝ではなく

国家としての組織体制が固まる。

 

じわりじわりと、

華北の諸勢力および南朝の攻勢を抑え、

最終的に

華北の統一を成し遂げる。

華北の統一は中国史としては、

一つの通過地点である。

 

しかし、八王の乱以後、

異民族が華北で争ってきたその最終結果が、

鮮卑の北魏が最終勝利を迎えたということは

非常に大きな意義を持つ。

 

これ以後、

モンゴルの登場まで、

中華に異民族は根付かなくなる。

また、

鮮卑は、

北魏孝文帝の漢化政策、

隋唐の漢族同化を経て、

新しい漢民族となる。

 

古い漢民族を事実上、

滅ぼしての新しい漢民族としての鮮卑族が、

これ以後の中国史における漢民族なのだから、

北魏が華北を統一したことよりも、

異民族の争いに鮮卑が勝ち残ったことの方が、

大変重要な意味を持つのである。