歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

両統迭立に関わる天皇。

 

 

●両統迭立に関する天皇。

 

両統迭立視点での各天皇の説明。

持明院統、大覚寺統それぞれの天皇。

称号は天皇に統一する。

 

 

後鳥羽天皇:

 

才気煥発な帝王。

異母兄安徳天皇を継いで天皇になる。

本来天皇になるはずではなかった、また

三種の神器の一つ、草薙の剣なしに即位したということが、

後鳥羽天皇の正統性に疑問符をつける。

これは後鳥羽天皇のコンプレックスともなる。

武家台頭前の、強い院政を志向。

 

土御門天皇:

 

後鳥羽天皇の子で穏健派の天皇。

父後鳥羽天皇から見れば親鎌倉幕府に見え、弱腰に見える。

 

順徳天皇:

 

強い院政を志向する後鳥羽天皇の意思で、

兄土御門天皇の譲位により即位。

 

守貞親王:

 

後堀河天皇の父。

後鳥羽上皇の異母弟。

幼少期平家によって育てられ、

平家の西国逃亡の際には、

同道させられている。

承久の乱時点ではすでに出家。

子の後堀河天皇が即位すると、

守貞親王は治天の君となる。

天皇になったことがない男性の人物が、

治天の君になる初の事例。

薨去の後に、後高倉院と追号。

 

後堀河天皇:

 

守貞親王の子。

承久の乱ののちに、天皇となる。

四条天皇;

後堀河天皇の子。

12歳で崩御。遊んで転倒、脳挫傷が原因。

 

後嵯峨天皇:

 

土御門天皇の子。

土御門天皇系は後鳥羽天皇に疎まれる。

また鎌倉幕府にとっては後鳥羽天皇の系統でもあるので、

幕府からも敬遠される。

二重の意味で忘れ去られた存在。

後鳥羽天皇系以外の天皇候補がいなくなったので、

天皇に即位。

後鳥羽系の復活。

 

後深草天皇:

 

後嵯峨天皇の子。

持明院統の祖。

亀山天皇の同母兄。

後嵯峨天皇が即位4年後に譲位して天皇に即位。

後嵯峨天皇が自身の血統を皇統嫡流にするためである。

その後、後嵯峨天皇が亀山天皇を寵愛したことにより、

譲位させられる。

後鳥羽、土御門、順徳の譲位のパターンとおなじ。

 

亀山天皇:

 

後嵯峨天皇の子。

大覚寺統の祖。

後深草天皇の同母弟。

参考にだが南朝最後の天皇は後亀山天皇。

 

後宇多天皇:

 

亀山天皇の子。

亀山天皇の皇統嫡流固定策で譲位されて即位。

後嵯峨天皇→後深草と同じ。

 

伏見天皇:

 

後深草天皇の子。

父後深草天皇が幕府に訴えたことにより、

即位。持明院統の巻き返し。

 

後伏見天皇:

 

伏見天皇の子。後深草天皇の孫。

後深草天皇が自身の皇統を嫡流にするために

伏見天皇に譲位させる。

 

後二条天皇:

 

後宇多天皇の子。亀山天皇の孫。

亀山天皇が今度は幕府に訴え、

後伏見天皇の譲位を受け即位。

しかし、即位7年にして24歳で崩御。

その時点で後二条天皇には、

皇位を譲る成年の皇子はいなかった。

長子邦良親王は当時9歳。

後二条天皇即位時点で、

上皇は史上最多の5人存在。

後深草院、亀山院、後宇多院、伏見院、後伏見院。

 

花園天皇:

 

伏見天皇の子。後伏見天皇の弟。

後二条天皇の崩御を受け即位。

後宇多天皇が幕府に訴え、

後醍醐天皇へ譲位。

今上天皇も読んだ、「誡太子書」は、

のちの光厳天皇を教育するための著書。

文人として名高い。

花園天皇は、

中継ぎの天皇だったが、

量仁親王は、花園天皇の猶子として皇太子になる。

花園天皇は傍系としての天皇だったが、

こうした配慮からすると、

兄後伏見天皇との関係は良好だったと思われる。

 

 

 

後醍醐天皇:

 

後宇多天皇の子。

後二条天皇の弟。

父後宇多天皇が崩御すると、

反鎌倉幕府運動を実行する。

事実上、皇統を最終決定権を握る鎌倉幕府を

天皇として打倒して、

自分の血統を皇統嫡流にしようと目論む。

兄後二条天皇は若死に、

父後宇多天皇が崩御すれば、

自身後醍醐天皇が大覚寺統の最年長で天皇なのだから、

傍系とはいえ大覚寺統を主宰して、

自分の血統を嫡流にしたいという思いは

なんら不思議なことではない。

 

邦良親王:

 

後二条天皇の子。

後醍醐天皇の甥。1326年に26歳で若死。

当時、後醍醐天皇が正中の変に失敗。

持明院統、鎌倉幕府は後醍醐天皇に

譲位を迫る中の急死。

邦良親王は後醍醐天皇の後継天皇を

自身とすることを条件に

持明院統へ協力していた。

 

光厳天皇:

 

後伏見天皇の子。花園天皇の甥。

邦良親王の薨去を受け、

後醍醐天皇の皇太子となる。

後醍醐天皇は譲位することを頑として受けず。

後醍醐天皇が1331年の元弘の乱に失敗すると

即位。

後醍醐天皇は隠岐に流されるも、

再度反乱。

今度は成功し、鎌倉幕府滅亡。

後醍醐天皇は光厳天皇の即位自体を

完全否定する。

 

ややこしい。

同じ天皇家とはいえ、

父が異なれば赤の他人ということか。

これが高貴な身分の実態。

 

【後白河天皇から四条天皇まで】

後白河天皇ー高倉天皇ー安徳天皇

                                     |

                                       ー後鳥羽天皇

                                     |

                                      ー守貞親王ー後堀河天皇ー四条天皇

 

【後鳥羽天皇から亀山天皇】

後鳥羽天皇ー土御門天皇ー後嵯峨天皇ー後深草天皇

                   |                                        |

                    ー順徳天皇                          ー亀山天皇

 

 

【持明院統】八条院領

後深草天皇ー伏見天皇ー後伏見天皇ー光厳天皇(量仁親王)

                                     |

                                       ー花園天皇

 

【大覚寺統】長講堂領

亀山天皇ー後宇多天皇ー後二条天皇ー邦良親王

                                     |

                                       ー後醍醐天皇