孔明の第一次北伐の狙いは、
領土拡張。ドラマチックな決戦ではない。
結論として天水以東の確実な確保である。
関中の陳倉から天水に至るまでには、険しい山脈がある。
隴山。ここに隴関という関所もある。
斜谷道に趙雲を出し、上庸で孟達に反乱を起こさせ、両方面で魏をひきつけ、その間に早々に天水方面を固めるというのが、
孔明の壮大な奇襲作戦。
趙雲の陽動作戦もうまくいき、あともう少しだったのに、
痛かったのが、街亭における馬謖の敗戦。
敵将は張コウ。ここを耐えきれば、隴関まで達し、
魏が関中から天水方面に出るのは難しく、あと一歩だった。
演技、正史などどうしても感動的なものに
とらえがちな孔明の北伐。
感動的な出師の表を劉禅に提出、
悲壮感のある出兵を述べる。
その北伐は、感動的なものになる。
おのずから大きな戦略があるように見える。
しかし、よくよく考えてみると、
諸葛孔明という人はかなり堅実な人。
自分にも他人にも厳しい、真面目な人。生真面目。
ちょっとした刑も自分で判断し、
最後は過労死であったであろう。
融通が利くタイプではない。
いきなり早期決戦ができるタイプではない。
夷陵の戦い(221年7月~222年8月)で負けた後、続けて決戦も考えにくい。
現実的に考えると、
蜀は人口100万人足らず。
人口が4倍の魏、2倍強の呉と
比べて考えると、時間がたてばたつほどじり貧になる。
人口が増えるスピードは他二国のほうが早い。
耕地が開かれるスピードも早い。
ネズミ講的に考えると勝てるわけがない。
となると、早めに攻めるしかない。
領土を他国から強奪して、人口を増やすしかない。
さあどこを強奪するか、
呉は夷陵の戦いの後早々に同盟を結んだので攻められない。
南方の異民族は攻めて押さえた。
後は、三つ。
すべて漢中から出るルート。
①漢中から東。魏興 上庸、襄陽へ至るルート。洛陽に近いのでリスクは相当高い。
ハイリスク・ハイリターン
②漢中から北。関中に出て、長安へ。これもそこそこリスクが高い。
長安は前漢の首都で魏にとって西方支配の重要拠点。ミドルリスク・ミドルリターン
③漢中から北。岐山、天水へ出る。リスクは一番少ない。実りも一番少ない。
ローリスク・ローリターン
だから第一次北伐は、
この3ルートすべて使った。
①は孟達、②は趙雲、③は孔明本隊。
漢中からの距離で考えると、孔明の北伐の中で、
一番魏に侵入したといえる。
あともう少し、あともう少しだった。
天水を中心としたエリアは、
もともと10年前まで韓遂が治めていた。
韓遂自身は結局敗死したが、地元の民や異民族にかなり慕われていたため、
曹操や魏に支配されても、簡単に服しているわけではなかった。
ゲームの三国志などだと、ここあたりは馬騰や馬超の領土だが実際は韓遂。
隴関さえ取れれば、漢中、蜀と同じように、四方の関所を閉じて、
確保できるエリア。
決戦せずに蜀が取れる最後のエリアであった。