歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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諸葛孔明 第一次北伐の狙いは領土拡張。

孔明の第一次北伐の狙いは、

領土拡張。ドラマチックな決戦ではない。

 

結論として天水以東の確実な確保である。

 

関中の陳倉から天水に至るまでには、険しい山脈がある。

隴山。ここに隴関という関所もある。

 

斜谷道に趙雲を出し、上庸で孟達に反乱を起こさせ、両方面で魏をひきつけ、その間に早々に天水方面を固めるというのが、

孔明の壮大な奇襲作戦。

 

趙雲の陽動作戦もうまくいき、あともう少しだったのに、

痛かったのが、街亭における馬謖の敗戦。

敵将は張コウ。ここを耐えきれば、隴関まで達し、

魏が関中から天水方面に出るのは難しく、あと一歩だった。

 

 

 

演技、正史などどうしても感動的なものに

とらえがちな孔明の北伐。

 

感動的な出師の表を劉禅に提出、

悲壮感のある出兵を述べる。

その北伐は、感動的なものになる。

おのずから大きな戦略があるように見える。

 

しかし、よくよく考えてみると、

諸葛孔明という人はかなり堅実な人。

自分にも他人にも厳しい、真面目な人。生真面目。

ちょっとした刑も自分で判断し、

最後は過労死であったであろう。

 

融通が利くタイプではない。

いきなり早期決戦ができるタイプではない。

夷陵の戦い(2217月~2228月)で負けた後、続けて決戦も考えにくい。

 

現実的に考えると、

蜀は人口100万人足らず。

人口が4倍の魏、2倍強の呉と

比べて考えると、時間がたてばたつほどじり貧になる。

 

人口が増えるスピードは他二国のほうが早い。

耕地が開かれるスピードも早い。

ネズミ講的に考えると勝てるわけがない。

 

となると、早めに攻めるしかない。

領土を他国から強奪して、人口を増やすしかない。

 

さあどこを強奪するか、

 

呉は夷陵の戦いの後早々に同盟を結んだので攻められない。

南方の異民族は攻めて押さえた。

 

後は、三つ。

すべて漢中から出るルート。

①漢中から東。魏興 上庸、襄陽へ至るルート。洛陽に近いのでリスクは相当高い。
ハイリスク・ハイリターン

②漢中から北。関中に出て、長安へ。これもそこそこリスクが高い。
長安は前漢の首都で魏にとって西方支配の重要拠点。ミドルリスク・ミドルリターン

③漢中から北。岐山、天水へ出る。リスクは一番少ない。実りも一番少ない。
ローリスク・ローリターン

 

  漢中からの攻め口

 

だから第一次北伐は、

この3ルートすべて使った。

 

①は孟達、②は趙雲、③は孔明本隊。

 

漢中からの距離で考えると、孔明の北伐の中で、

一番魏に侵入したといえる。

 

あともう少し、あともう少しだった。

 

天水を中心としたエリアは、

もともと10年前まで韓遂が治めていた。

韓遂自身は結局敗死したが、地元の民や異民族にかなり慕われていたため、

曹操や魏に支配されても、簡単に服しているわけではなかった。

ゲームの三国志などだと、ここあたりは馬騰や馬超の領土だが実際は韓遂。

隴関さえ取れれば、漢中、蜀と同じように、四方の関所を閉じて、

確保できるエリア。

決戦せずに蜀が取れる最後のエリアであった。