諸葛孔明の第一次北伐は、
劉邦をベンチマークしている。
斜谷道と見せかけて(趙雲を使った)
陳倉ではなく、天水、隴であった。
しかし、隴関を抑えれば、隴の完全獲得だが、
街亭で馬謖が敗れたことにより、撤退。
天水や隴関までの距離を考えると、
斜谷道の陽動だけでは、一挙制圧までは間に合わない気もする。
隴関を取って、隴の確保が第一次北伐の戦略目標。
二次北伐は、斜谷道で陳倉。関中狙い。
三次北伐は、二次が簡単に撤退で終わってしまったため、
次の地歩として、武都郡の制圧。
四次北伐は、またもや隴。司馬懿ののらりくらり作戦により戦えず、
兵糧切れで撤退。
五次征伐は、五丈原に出て、決戦狙いで陣没という結果である。