歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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匈奴冒頓単于の王庭(本拠地)・ウランチャブ市(内モンゴル自治区)

大同市からまっすぐ北に北上すると、陰山山脈に突き当たる。

ここがウランチャブ市だ。大同から100㎞の位置にある。

 

ここの北の山脈は断崖になっている。山脈を越えるとゴビ砂漠だ。

ここから東に向かうと張家口、ここで大興安嶺にぶつかる。

張家口から南東に下がっていくと、先は北京だ。

今度は逆に西に向かう。

山沿いに西に向かうと、フフホト、パオトウ(包頭)がある。

パオトウで黄河が見れる。手前のフフホトの南で、黄河は南に流れを変える。

この先山沿いに西に行くと、甘粛省の北に出て、酒泉に至る。

黄河や湖もあって、水が豊かな高原地帯だ。

 

ウランチャブの話に戻すと、

実は、戦国時代の趙はここまで領域を伸ばしていた。

このエリアを支配していたのである。

趙武霊王は、この一帯に雲中郡を設置。

戦国時代の趙は、北方異民族を軍兵としていたのだ。

 

 

 

 

ウランチャブ自体も非常に湖が多い地域だ。

 

下記の写真を見てほしい。

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非常に綺麗な景色だ

 

異民族というと、

何とも暗い気持ちになるが、

印象を一変させる写真だ。

 

中国の歴史をたどっていくときに感じていた、北方異民族に対する

悲壮感に似た感情は一変する。

遊牧がもう少し前向きに見える。

 

 

平均気温は4度、夏は平均19度まで、

冬は平均-18度までになる。

年間の降水量は363㎜とのことで、雨は少ない。

 

多分牛・馬・羊にとっては楽園だ。

 

モンゴルのオゴタイ・ハンや清の康熙帝も

訪れたことがある。

そう知ると途端に身近に感じる。

 

輝騰錫勒草原や黄花溝草原は、

現在は観光名所にもなっているそうだ。

 

匈奴とか鮮卑というと、

どうしても字面の印象が悪いため、

何かとてもひどいところに住んでいる印象を与える。

自分自身も、中国の歴史を知るうちに、
異民族というのは鄙びたところに住んでいるとか、
人が住めるような場所ではないところにいるという
何か無意識の差別的な感情を植え付けられていたことを知り、
愕然とした。
 

そもそも、匈奴とか鮮卑、蒙古という呼び名は、

漢民族からの呼び名で、

当人たちの呼称ではない。

 

時の中華王朝が名付けた名前だ。

漢民族は、周辺の異民族に対して、

二文字の悪い印象の漢字を当てて

蔑む。

卑しい、悪い存在で、貧しいからこっちに

攻めてくるんだと。

 

しかし、この写真を見る限りではそんなことはない。

豊かな自然があり、遊牧に適している。

豊かな自然だからこそ自然だけで暮らしていける。

 

どちらかというと、自然をコントロールしなくてはならない、

農耕地のほうが自然は豊かではない。

自然をコントロールする中で文明が育つ。

自然が荒れ狂うときの対処方法が発明される。

 

中国にとっての異民族も、

自然と協調できるときはよいが、

干ばつや蝗害などが起きたときには、

中国に対して略奪行為を行うほかない。

 

そこからお互いの対立関係が始まった。

恐れ嫌い、

できれば触れ合いたくない、

しかしお互いに憧れがある、

そんな関係であった。

 

異民族からすれば、穀物や絹織物は魅力的、

漢民族からすれば、馬や獣毛(貂など)は、

簡単には手に入らないものだった。

都度都度ある友好的な時代には、

それらを交易しあったのだ。