歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

呉王夫差も越王勾践も異民族。楚も異民族 姓は「熊」

【春秋時代:各諸侯の爵位】

公・・・宋・虞・虢

侯・・・魯・斉・晋・陳・衛・蔡など

伯・・・鄭・秦・燕・曹など

子・・・楚・呉・越など

男・・・許など

 

・楚は異民族。

あまり明確ではないが楚は異民族である。

姓は「熊」であり、獣であるし、

子爵である。

春秋時代の晋を中心とした中原諸国を

楚が攻めるという構図は、

南の異民族が中原の中国を攻めるという話である。

それが楚の荘王の時に

中国を支配する覇権を握ったというわけだ。

 

・呉越も異民族。

子爵の件からやはり呉越も異民族だ。

呉は周の季歴(周文王の父)の二人の兄が

建国の祖と称している。

姓も周王室と同じ姫姓だと称している。

 

しかし爵位で明確に示している。

越もそもそも中原諸国とはどうも

雰囲気が異なる印象。

異民族と考えるとすっきりする。

 

春秋五覇とは言うが、

「斉桓晋文」と言われる二者のみが中原諸国で、

あとの楚荘王・呉王夫差・越王勾践は

異民族というわけだ。

 

さらにいうと、斉は前述のとおり、羌族である。

晋の文公は母が狄の出身である。

異民族といえどその影響力は非常に強大だ。

 

春秋時代の後半は呉を中心とした話が増えるが、

これは呉において鉄器文明が開化したためだ。

呉では鉄が産出される。

鉄器文明が進展して、武具に鉄が使われるようになった。

それまでは青銅器。

青銅器では、今の感覚で言うと鈍器で殴る程度で、

切り刻む感覚ではない。

 

楚荘王の子・共王は、

鄢陵(えんりょう)の戦い(紀元前575年)で目を弓矢で射られたが、

弓矢の方が殺傷能力は高かった。

 

それが、呉における鉄器文明の発展により、

戦争のやり方自体が変わったのである。

 

呉王闔閭に関するエピソードは、

暗殺など血生臭いものが多い。

 

飛躍的に武器の殺傷能力が高まったためだ。

 

呉の鉄器革命は、

楚を滅亡寸前まで追い込み、越を従属させ、

覇を唱えた。

 

その呉王夫差が越王勾践の復讐戦に敗北し、

自決するのが紀元前473年。

そのあたりで、中原諸国に鉄器文明が伝播する。

そうして紀元前455年~453年の晋陽の戦いを境目に

戦国時代に入ったころには、鉄器文明が中原諸国に定着。

ここから本格的な戦いの時代、戦国時代に入るのである。

異民族の実例をこのようにたどっていくと、

その定義が非常に曖昧というより、政治的なものだとわかる。

自分たちを誰と考えるのか、

それに対して誰を除外するのかという考え方でしかない。

日本人が自社のことを「うち」というが、

その「うち」が自国、中原であり、

それ以外が異民族という考え方が近い。