歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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明智光秀の裏切り方は、足利尊氏の裏切り方に似ている。

●明智光秀、本能寺の変までの経緯。 ●足利尊氏、六波羅探題陥落までの経緯。 ●明智光秀と足利尊氏、それぞれの経緯の比較。 ●明智光秀、足利尊氏はそれぞれの政権におけるNo.2であった。 ●明智光秀は足利尊氏をベンチマークした。 ●明智光秀と足利尊氏のたっ…

元号「令和」の由来。

2019年5月1日に改元となり、 「平成」から「令和」となる。 ●大和言葉の当て字である万葉仮名。 ●漢字の使い方は前例主義 ●漢字使用の前例を知りうる教養人のみが知りうる世界 ●帰田賦こそ当時の知識人たちの知的な本音 ●中華文明の大元は江南・南朝にある。…

五胡十六国時代の出来事年表=313年から441年まで=

五胡十六国時代の年表。 わかりやすい節目とは。

元号とは。

「平成」から「令和」への改元。 日本では、明治維新以来、一世一元の制、 すなわち、一代の天皇において、 一つの元号のみとするとされたので、 非常に歴史的なことである。 ウィキペディアより画像引用。 そのため本来の改元は、 天皇の崩御に伴うもの、と…

周の守護者が斉桓公・晋文公。

●「斉桓晋文」 ●経済力のある中原諸国、軍事力を欲する。 ●中原の経済力と斉桓公の軍事力が結びつく。 ●僻地・晋だからこそ軍事力がある。 ●晋が周の守護者の地位を保ったのは、晋公に力がなかったからという逆説 ●「斉桓晋文」 春秋五覇の中で、 斉桓公、晋…

北魏二代皇帝明元帝拓跋嗣 隠れた名君

明元帝の在位は、 409年から423年である。 ●北魏明元帝を支える、長孫嵩と崔宏という名臣。 ●明元帝は華北支配を完成 ●明元帝期における東晋は劉裕の台頭期。 ●東晋宗族最後の反劉裕活動、司馬休之 ●劉裕北伐 後秦を併合 ●東晋宗族司馬休之という大義名分を…

初めて錬丹術の犠牲になる皇帝、北魏道武帝拓跋珪

北魏道武帝拓跋珪。 異民族の皇帝として、数多くの先進的な政策を実施。 拓跋珪は、孫の太武帝に比べると、 あまりピックアップされないが、 五胡十六国時代後半、南北朝、隋唐の歴史を語るには、 必要不可欠な存在である。 ●不老長寿を求めて錬丹術。 ●「鉱…

崔逞の失言?~北魏皇帝と清河崔氏の因縁の始まり~

崔逞(さいてい)。 名族清河崔氏の出身である。 ●名族・清河崔氏は斉の末裔。 ●崔琰、曹操に誅殺されてさらに名を上げる。 ●漢人を掌握するための、清河崔氏。 ●漢人グループのトップとして異民族皇帝とのコミュニケーションに苦労する。 ●清河崔氏、受難の…

北魏の成功要因・失敗要因は漢化したかしなかったか。

北魏の歴史を俯瞰した時に、 漢化というテーマをどう扱うかで、国勢が定まっている。 この扱い方が、成功要因・失敗要因となっている。 ●北魏の成功要因・失敗要因は漢化である。 北魏の成功要因は漢化しないこと。 道武帝、太武帝の向かうところ敵なしの強…

北魏道武帝拓跋珪、6つの革新政策その2「④仏教保護 ⑤「魏」のストーリーを継ぐ ⑥抹殺戦法」

≪①からの続き≫ ●拓跋珪の6つの革新政策。 ●国家主体の仏教保護 ●「④仏教保護」施策 ●中華国家としての在り方。 ●「⑤「魏」のストーリーを継ぐ」施策 ●匈奴の劉淵をベンチマークする拓跋珪 ●異民族は抹殺 ●「⑥抹殺戦法」 ●拓跋珪の凄さは胡漢を分けて考え融合…

北魏道武帝拓跋珪、6つの革新政策その1「①異民族の地に留まる。 ②漢化しない。 ③皇帝集権」

見過ごされがちな道武帝拓跋珪の政策。 しかしながら、 拓跋珪の存在、実績は五胡十六国時代が生み出した成果である。 ●拓跋珪の6つの革新政策。 ●漢化してしまうと滅びてしまう異民族国家 ●漢化しないで、より軍事力を強める。 「①異民族の地に留まる。②漢…

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。

胡漢融合の集大成が唐太宗という存在。 ●唐太宗の時代に胡漢融合が完成する。 ●胡漢融合の歴史を簡潔に述べる。 ●鮮卑による中華征服成る。 五胡十六国時代に始まり、唐太宗の時代に 胡漢融合は完了する。 胡漢融合の歴史を経緯と結論を下記に簡潔に示す。 ●…

拓跋珪の仏教受容

拓跋珪が、 早くから仏教を取り入れていたのは 非常に特徴的である。 ●部族解体された民をまとめるのが仏教。 ●北魏は国家としてはじめて仏教を推進。 ●異民族君主として、仏教を信奉したのは石勒、姚興。 ●中華世界として、初めて仏教を保護したのは孫権で…

鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか③~匈奴にならう拓跋珪。~

「鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか」 ①②で、 国号決定のアプローチについて述べた。 ここでは、拓跋珪が「魏」という国号にした理由を明示したい。 ●鮮卑拓跋氏と「魏」をつなぐ「細い線」 ●もう一度、代ではダメな理由。 ●東晋が有する天命に対抗したい…

鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか②~「魏」との関連を探る。~

●拓跋珪は、何を根拠に魏としたか。 ●なぜ、封地の「代」ではいけなかったのか。 ●封地視点では「魏」は使えない。 ●趙でもよかったのではないか。 ●実は趙と韓には皇帝の国号としてふさわしくない理由がある。 「鮮卑拓跋氏の国号は何故「魏」なのか①」では…