歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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中国(チャイナ)の地理

中国は黄河・淮水・長江の三つの線で分断される。

南北に分かれて黄河・淮水・長江を取り合うのが、中華統一戦争である。 ●中華統一戦争、三つの陣取り合戦 ●黄河の押さえ方 ●長江のおさえ方 ●淮水のおさえ方 ●大運河の完成がこの3エリアを融合させた。 ●中華統一戦争、三つの陣取り合戦 中華統一戦争を行う…

北魏道武帝拓跋珪が帝都を平城にする意味。

拓跋珪が代の平城に本拠を置いた理由。 (代はエリア名、平城は都市名である。 平城は現在の大同市) それは、北魏鮮卑拓跋氏帝国の持つ異民族気質を保ちたいと考えたからである。 ●趙襄子により中華となる代。 ●対異民族の最前線、代。 ●前漢文帝が封じられ…

鮮卑拓跋氏の始祖拓跋力微は旧黄河回廊を押さえて発展する~北魏の歴史~

匈奴や鮮卑など北方異民族の歴史を考える際には、 中心をウランチャブと考えるとわかりやすい。 ウランチャブは代・平城、今では大同市と呼ばれる場所の 更に北である。 中華の歴史は、隋唐までは洛陽や開封を含む、黄河渡河地点が中心。 宋以降は北京が中心…

非歴史的な韓国、北朝鮮国境線

●朝鮮半島、3つのエリア ●歴史的な「ソウル」エリアを分断する38度線。 ●中華視点なら、平壌が首都としてはベスト。 ●平壌から開城の間にある滅悪山脈が本来の国境線。 ●漢江―臨津江線の北緯38度線は地形的に国境線になり得ない。 先日、ソウルに行ってきた…

参合陂の場所について。

※内モンゴル涼城県の東北、つまり今の岱海周辺という 説もあるが、ここでは陽高県の説をとっている。 岱海近辺であれば、フフホトとウランチャブの間ということになる。 参合陂の場所について。 結論、これは≒白登山である。 ●参合陂はどこなのか。 ●戦略的…

六鎮は北魏鮮卑拓跋氏の本来の本拠地である。

●北魏にとって「代」こと「平城」は中華との結節点 ●六鎮は北魏拓跋氏の故郷 ●故郷を捨てた北魏孝文帝 ●北魏にとって「代」こと「平城」は中華との結節点 平城は、代である。 現在の大同市。後に燕雲十六州と呼ばれるうちの、「雲」とは代のことである。 こ…

中華の都市間の距離を日本の都市で考えて実感する

北京は「青森」、上海は「鹿児島」。 ●北京と上海: ●洛陽と曲阜: ●西安と北京: ●西安と洛陽: ●北京と洛陽: ●武漢と南京: ●成都と荊州(江陵) ●成都と漢中: ●絳と洛陽 ●洛陽と荊州: ●韓国と北朝鮮: ※下記にある距離とは、地図上の直線距離を指す。 …

苻堅の大失敗、淝水の戦いー大敗の理由。

華北を統一し、石勒を越える領土を獲得した苻堅。 ●寿春-合肥ルート単独は鬼門。 ●蜀だけではダメ ●苻堅は蜀は取れたが荊州は取れなかった。 ●襄陽は荊州から中原へ出るための最前線。 ●武昌は地政学的に荊州のへそ。 ●江陵は楚の都。 ●江南勢力の必勝パタ…

淝水ってどこ?

●淝水ってどこ? ●寿春周辺の地形について ●淝水の場所: 淝水の戦いであるが、これは苻堅の大失敗である。 それどころか、この敗戦で苻堅は全てを失った。 しかしこの淝水とは一体どこのことであろうか。 ●淝水ってどこ? 前秦苻堅が大負けした、 中華史上…

徙民政策④最大限活用する前秦と北魏。

徙民政策を完成させた後趙と前燕。 ●前秦苻堅は滅ぼした敵対勢力を全て長安へ移住させる。 ・前秦の人口対策 ・前秦苻堅の儒教的発想 ●北魏の華北統一で大規模な徙民政策はひと段落する。 ●徙民政策で民族シャッフルが進んだ華北 これを受けて、 前秦と北魏…

幽州の歴史⑨地政学的に幽州は「大中国」のヘソとなる。

●大運河線を軸とした中華世界へ。 ●中華進入ルートの燕雲十六州 ●金元明清の都は「幽州」、もはや「幽」ではなく、「京」であった。 安禄山が中華を席巻したのち、 次に幽州が注目されるのは、唐が滅びた後の戦乱の時代、 五代十国である。 ●大運河線を軸と…

幽州の歴史⑧ いよいよ幽州は中華を席巻する覇王の地へ変貌する。

隋唐の異民族、中華皇帝としてのメンツをかけた 高句麗遠征。 ●唐の最盛期は玄宗時代 ●唐玄宗の虚無感とディオニュソス的発想 ●安禄山という災厄は幽州で生まれる。 ●安禄山の幽州が、大唐帝国を席巻した。 これを成し遂げるまでの半世紀の間に、 幽州は中華…

幽州の歴史⑦前漢武帝に並んだ、唐高宗・則天武后夫妻。

●高句麗を滅ぼした唐高宗・則天武后夫妻 ●巧みな外交戦で、高句麗・倭陣営を打倒する唐高宗・則天武后夫妻。 ●中華皇帝なら誰もが目指す前漢武帝時代の再来を、唐高宗・則天武后は成し遂げた。 隋煬帝・唐太宗というエネルギッシュな人物が 成し遂げられなか…

幽州の歴史⑥高句麗遠征に失敗する隋煬帝・唐太宗は完全な中華皇帝になりきれない。

●隋唐の高句麗遠征 ●隋の崩壊の経緯は秦に類似。 ●完全な中華皇帝になりたいから李世民も高句麗にこだわる。 ・李世民のメンツ 異民族の皇帝が中華皇帝として 完全になるために、高句麗が必要となる。 今回はそれについて述べたい。 ●隋唐の高句麗遠征 自身…

幽州の歴史⑤漢化した異民族国家隋だからこそ高句麗に拘る

●前燕が遼東を中華にする。 ●幽州、遼東に関心のない北斉、北周 ●隋の楊氏、異民族なのに漢人名族の弘農楊氏に成りかわる。 ●漢化したい隋、だからコンプレックスがある。 幽州・遼東を支配した鮮卑慕容部。 それが皇帝となる。 幽州・遼東が皇帝の出身地と…

幽州の歴史④幽州の支配者がはじめて中華皇帝となる。

●遼東出身の鮮卑慕容部が幽州を足がかりに中華王朝へ変貌 ●遼東の中華化 ・中華の歴史に喧嘩を挑んでしまった前燕慕容儁 ●遼東の中華化で高句麗を従属させられるかどうかが中華の歴史において政治問題化する。 王浚死後、 幽州は石勒・石虎の後趙、 遼東は鮮…

幽州の歴史③ 幽州の馬が八王の乱の行く末を左右する。

●幽州の王浚、八王の乱の行く末を左右する ●八王の乱は賈后派と反賈后派=亡き皇太子派の争い ●「并州」と「幽州」が争う八王の乱 ●中華の権力争いに大きな影響を与え始める幽州 ●王浚没後、幽州と遼東が分断。 いよいよ幽州が中華の歴史に 直接関わるシチュ…

幽州の歴史② 騎兵狩りの拠点へ発展。

この流刑地同然の幽州。 その名の通り、うらさびれた場所であった幽州。 ●公孫瓚の躍進が幽州の存在感を増す。 ●曹操の烏桓討伐 ●司馬懿による遼東公孫淵討伐で幽州は遼東統治の拠点へ この幽州の存在感が増してくるのは、 幽州の周囲にいる異民族が保持する…

幽州の歴史① 流刑地のような陸の孤島

●幽州は中華文明とは隔絶した土地 ●後漢光武帝は幽州まで行かなかった ●黄河の流路変更 ●幽州は事実上の流刑地 ●幽州は中華文明とは隔絶した土地 幽州という名前になったのは、 前漢武帝の時。 天下を13州に分けた時、 戦国時代の燕が割拠した地域を、幽州と…

【黄河渡河地点が「中華」】五胡十六国時代における「中華」とは②

前回の記事で、「中華」という概念が、 中国史上、変遷するものである、と記した。 ●五胡十六国時代における「中華」とは① www.rekishinoshinzui.com 「中華」はどこなのか、という定義は「思想」である。 では五胡十六国時代における「中華」とはどこなのか…

五胡十六国時代における「中華」とは①

中華統一という概念は何か。 ●桓温が目指した「中華」とは何か。 ●「中華」の概念は時代とともに変化する。 ●中国史上、常に拡大する「中華」圏 ●五胡十六国時代においてどこを支配すれば「中華」と獲ったことになるのか。 ●「中華」という概念はいつ始まっ…

刊溝=呉王夫差が作った軍事施設としての運河=

刊溝。 これは運河である。 ●刊溝はどこにあるか。 ●刊溝はいつ作られたか。 ●刊溝を作った呉王夫差の目的 ●越王勾践も邗溝を活用する。 ●呉楚七国の乱で前漢の呉王劉濞が邗溝を活用。 ●後漢末から三国時代の刊溝 孫権も使う。 ●西晋時代の刊溝は平和利用。 …

鄴の東を下にして地図を見る~覇者の地・鄴~

鄴は曹操が本拠地を置いた時から、 覇者の地としての歴史が始まるのである。 洛陽⇔幽州(北京)間の回廊、その真ん中に鄴はある。 (引用元:地図で訪ねる歴史の舞台 帝国書院 ※武藤加筆) ここ鄴を抑えることが華北の覇者としての条件となる。 覇者の地とし…

洛陽よりも鄴 曹操に始まる中原の覇者の都・鄴~鄴の歴史⑦

●曹操の本拠は鄴 ●鄴に本拠を置いたのは袁紹が先 ●鍾繇が曹操にとって極めて重要な人物であるその理由 ●洛陽が本拠ではダメなのか。 ●本来は鄴を中心に馬と中原を押さえれば中華統一だった。 曹操が鄴に本拠を置いたことは 案外と認識されない。 ゲームの影…

鄴エリア 中華王朝の帝国化が鄴エリアの内地化を推進する ~鄴の歴史⑥ 秦から後漢まで

●秦の勝利: ●漢による中華統一: ●秦の勝利: 秦、趙、斉の三つ巴の戦いは、 秦の勝利に終わる。 高い文化、文明、 騎馬、 法制度、 優秀な人材、 肥沃な大地 これが全て揃ったのが 秦だった。 一番の違いが、法制度による統治なので、 これがピックアップ…

鄴エリアの隆盛~鄴(邯鄲)エリア⇔山西高原モデルで戦国趙は秦と最後までやりあう。~鄴の歴史⑤ 戦国時代後半

●戦国時代は、秦・趙・斉による三つ巴の戦い: ●秦、趙、斉以外の戦国七雄: ●燕: ●楚: ●韓: ●魏: ●戦国時代は、秦・趙・斉による三つ巴の戦い: ※戦国趙における「鄴」エリアは邯鄲のことである。 趙は邯鄲の南に長城という名の防壁を築いていた。 その…

鄴エリアの勃興~戦国趙の強みに気付いた武霊王~鄴の歴史④ 戦国時代

●戦国時代 都市国家の発展 ●鄴エリア(趙は邯鄲)と山西高原のアクセス 馬がものを言う。 ●戦国時代 都市国家の発展 春秋時代の末期は、 江南の呉と越が強かった。 鉄が産出され、 軍事的にも農耕的にも大きな影響を及ぼしたからだ。 それまでは青銅器である…

「鄴」エリアの重要性は商王朝から~鄴の歴史①~

鄴エリアの重要性は商王朝が本拠を置いたことから始まる。 ここは、中原と山西高原の結節点であった。商王朝は、山西高原の出身である。

「鄴」の地政学的位置づけ

鄴という都市は、南北朝の終わりまで華北の争乱に常に絡む。 隋唐以降、中華帝国は世界帝国となり、鄴は内地としての意味合いが強くなるが、それまでは、軍事的な要地であった。 ここを確保したものが華北を掌握すると言える。趙武霊王、曹操、石勒、前燕慕…

洛陽が中国の原点

中国大陸を中心とした世界。 北はモンゴル、バイカル湖まで、 東は満州、朝鮮半島まで、 西は、敦煌など西域まで、 南は、昆明やベトナムまで、 を範囲としたエリア。 それより先は、海、山、砂漠などに通行を阻害される。 北は馬などの家畜が豊富。 東は、…