拓跋力微
●258年司馬昭が鮮卑拓跋氏を認めたことが勢力の起源。 ●拓跋力微は西晋と関係を保持して漠北の覇者となる。 ●拓跋力微が目障りになる西晋司馬炎。 ●策士衛瓘の参考記事 ●参考図書: 鮮卑拓跋氏を歴史に登場させたのは、 司馬氏、のちの西晋帝室の司馬氏であ…
●異民族を打倒した西晋司馬炎は「英雄」である。 ●104歳で死去したとされる拓跋力微が北魏の始祖 ●拓跋力微の死後の身内争い ●異民族を打倒した西晋司馬炎は「英雄」である。 拓跋力微を西晋の衛瓘は謀略で敗死。 これで、 西晋司馬炎は匈奴だけではなく、北…
●司馬氏の興隆とともに拓跋力微の勃興。 ●実は西晋の名臣衛瓘(えいかん)の三つの業績 ・衛瓘は蜀漢討伐の時の監軍 ・衛瓘の土断法提案 ●衛瓘の巧みな異民族分断政策(デバインドポリシー) ●拓跋力微が衛瓘の策にはまる経緯 ●参考図書: ●司馬氏の興隆とと…
匈奴や鮮卑など北方異民族の歴史を考える際には、 中心をウランチャブと考えるとわかりやすい。 ウランチャブは代・平城、今では大同市と呼ばれる場所の 更に北である。 中華の歴史は、隋唐までは洛陽や開封を含む、黄河渡河地点が中心。 宋以降は北京が中心…
●魏の司馬昭と鮮卑拓跋力微の事実上の同盟 ・司馬昭のメリット ・拓跋力微のメリット。 ●司馬昭の子司馬炎と鮮卑拓跋力微の共存共栄 ●西晋皇帝となった司馬炎、鮮卑拓跋力微が目障りとなる。 ●参考図書: ● 三国時代末期。 いわゆる三国志の時代。 三つの国…
●258年に登場する鮮卑の拓跋力微 ●258年、魏にとっての意味。 ●司馬昭の政治課題の一つは、中華統一。 ●正統な中華皇帝にとっての最終政治課題は異民族の討伐。 ●皇帝となるべき司馬昭にとっての異民族は匈奴では不適格。 ●司馬昭が「匈奴」の後継者に鮮卑の…