歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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春秋晋

周の守護者が斉桓公・晋文公。

●「斉桓晋文」 ●経済力のある中原諸国、軍事力を欲する。 ●中原の経済力と斉桓公の軍事力が結びつく。 ●僻地・晋だからこそ軍事力がある。 ●晋が周の守護者の地位を保ったのは、晋公に力がなかったからという逆説 ●「斉桓晋文」 春秋五覇の中で、 斉桓公、晋…

【春秋晋の年表③】晋公の無力化から三晋成立へ

●前574年、晋文公以前からの名族、郤氏を晋の厲公が族滅。 ・欒書の主君殺し。 ●前574年、晋最後の名君、晋の悼公 ・韓厥と荀罃(智罃) ●晋平公の即位 六卿体制の確立。すなわち事実上の寡頭制へ ・欒氏の滅亡。范氏の謀略。 ・趙氏・韓氏協調。 ●前514年六…

【春秋晋の年表②】正卿時代

正卿趙盾が権力を握ってから、 晋は晋公ではなく、正卿中心に政治が動く。 ●前601年 趙盾の引退。 ●前600年晋成公の死去。 ●前597年邲の戦い 晋景公対楚荘王 ●前597年邲の戦いの敗戦後、趙盾系趙氏趙朔の滅亡 ●前597年邲の戦いの敗戦により、荀林父は死罪を…

春秋戦国時代における「文王・武王・成王」の意味

●文武成の意味 ●楚の成王 ●楚は周とは全く別の国なのに中華統一王朝がそれを隠す。 ●文武成の意味 周に始まる、文武成の意味。 それは、 天下を掌握する三段階を意味する。 文=輿論を得る。 武=前王朝を倒す。 成=そうして天下を掌握する。 この伝説。 成…

晋文公重耳の流浪時代を支えた7名のうち狐偃・趙衰は別格

重耳を支えた7名の側近、孤偃と趙衰だけは別格である。 晋文公重耳を支えた中心人物は孤偃と趙衰である。 ●狐偃は重耳の母方の叔父。一族は重耳最大のスポンサー。 ●趙衰は重耳の寵臣で参謀、二重の婚姻関係。最も相性が良かった。 ●狐毛・魏犨・顛頡・胥臣…

③何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。

私は晋という国は重耳以前の時代においては、周王の世界、中華、中原ではなかったと主張する。 ●晋の武公までのあまりにもできすぎたストーリー: ●異質な国、晋: ●前677年に周から諸侯として認められた時に姫姓を与えられた。 ●異民族の春秋五覇、呉も越も…

②何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。

①斉の桓公は重耳の亡命を喜ぶ。 ②斉の桓公は晋に介入しない。 ③姫姓の国は重耳を嫌がる。 ④晋に関心のない桓公が重耳亡命を喜び、姫姓の国が重耳を嫌う、その結論 何故斉の桓公は重耳を受け入れたか、に関して、 3つの視点から考えていきたい。 ①斉の桓公は…

①何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。=問題提起=

何故斉の桓公は重耳を受け入れたか。 後に春秋五覇の一人となる、晋の文公、重耳。彼は公になる前は流浪の公子であった。 ●斉の桓公は本来の晋の後継者争いを差配する立場である。 ●重耳を冷遇するのは全て姫姓の国である。 ●異姓の国 衛で冷たくあしらわれ…

春秋晋国の正卿一覧

中軍の将一覧 晋の正卿一覧。その数は十五人。 春秋時代の晋国独自の制度、正卿制度について述べたい。 晋国中興の祖とも言える、春秋五覇の一人晋文公の即位の経緯から、 晋は君主の力が著しく弱く、各諸侯の力が非常に強かった。 事実上の寡頭制とも言える…