東晋北伐
東晋の命運にとどめを刺し、南北朝への時代の幕開けを行う劉裕。 ●404年劉裕の全権掌握 ●ここで桓温を模倣することができるのが劉裕の凄さ ●劉裕の第一次北伐、409年南燕討伐。 ●411年孫恩の乱の鎮圧完了。 ●劉裕、412年政敵を排除完了。 ●413年に蜀の確保。…
英雄になり損ねた桓温の生涯をまとめる。 ●曹操は当時の英雄たちのあこがれ ●桓温の生い立ちと、立身のきっかけ ●桓温、亡き東晋皇帝明帝の婿となる。 ●庾氏三兄弟勢力の一翼を成す。 ●桓温の最初の電撃戦、成漢討伐は独断専行。 ●桓温、殷浩を追い落とし、…
●華北異民族の脅威。 ●本来、江南は中華ではなかった。 ●簡文帝司馬昱、毒殺の疑い。 ●謝安は桓温の末弟桓沖と手打ちをして最高権力者へ ●華北異民族の脅威。 369年桓温、第三次北伐失敗。 桓温にとっては、生涯の夢が敗れた瞬間である。 東晋にとっては、華…
桓温の第三次北伐失敗、その後。 ●満を持しての桓温第三次北伐は失敗。 ●桓温、東晋皇帝の廃立へ ●実は25年も幼帝にしか仕えられなかった桓温 ●桓温、初めての成年皇帝司馬昱。齢50歳。 ●謝安・謝霊運に酷評される皇帝司馬昱 ●東晋の悪夢、前秦による華北統…
●桓温の強み ●枋頭は古来より黄河の重要な渡河地点 ●桓温、四度目の電撃戦 ●桓温、寡兵で勝つためにハッタリをかます。 ●桓温奇襲の中、ただ一人冷静な前燕の宗族慕容垂 ●桓温の強み 桓温の強みは、 とにもかくにも思いっきりの良さなのである。 悪い言い方…
356年8月に姚襄を打ち破り、 洛陽城内へ桓温は入城。 桓温の第二次北伐は洛陽奪取という快挙を成し遂げた。 ●何故桓温は撤退したのか ・東晋内の政治抗争 ・兵が足りない。 ●前燕は既に鄴まで勢力を伸ばしていた。 ●前秦戦線はどうか。 ●姚襄との激戦の疲労 …
桓温の第二次北伐の実行。 ●桓温対建康政府の対立。 ●東晋政府から反対された桓温の第二次北伐 ●前燕鮮卑慕容部はライバルの青州段部に付きっ切り ●前秦は皇帝苻生の暴政により混乱中。 ●姚襄と桓温の洛陽伊水決戦。 桓温は、354年の前半に第一次北伐を実行…
●河北・後趙の崩壊→東と西に分裂。 ●西の関中は氐族苻氏 ●東の河北は前燕鮮卑慕容部が獲る。 ・冉閔が後趙を滅ぼす。 ・鮮卑慕容部が冉閔を滅ぼす。 ●どこも取れなかった羌族姚氏 桓温の356年第二次北伐に関して、 そこに至る前の情勢について説明したい。 ●…
354年の桓温第一次北伐から356年桓温第二次北伐までの 中華情勢に言及して、桓温の軍事上の狙いを考えたい。 ●前燕の鮮卑慕容部が勢力を大きく伸張させる。 ●桓温ができるのは寡兵による電撃戦、その効果的な目標はどこか。 ●洛陽を狙う、姚襄と桓温 ● 裏切…
東晋政府の全面協力を得られない桓温は電撃戦で洛陽を狙う。 結論はこれだ。 しかし、そこに至るまで、桓温は東晋内で、 準備を始める。それは調整力・政治力が問われるものであった。 桓温は第二次北伐へ備え、動く。 東晋政府とのやりくり、調整力と軍事戦…
●長安攻略失敗で失意の桓温、実は41年振りの快挙であった。 ●司馬昱首班の東晋朝廷も桓温を賞賛せざるを得ない。 ●衆望を背景に、桓温は動員兵力の増加を狙う。 ・課題1 僑籍 ・課題2 貴族の大土地所有 ●民衆と桓温 対 貴族名族 という構図ができる。 ●長安…
●北伐とは、非常に割りの合わない事業。 ●桓温得意の電撃戦。 ●司馬勲という異形の存在が秦嶺山脈越え。 ・司馬勲とは ●桓温自身は武関経由で関中へ侵入。 ●英雄桓温の誕生は、桓温の真摯さか、狡猾さか。 桓温の第一次北伐 桓温の北伐は上奏の結果、政権首…
桓温の第一次北伐前夜。 ようやく北伐の命が桓温に下される。 機を逸したのは東晋の保守的な事情であり、 桓温が長安を攻めたのも東晋の内部事情が原因である。 ●桓温に北伐のお鉢が回ってきた背景: ●桓温、北伐の狙いは長安。 ・桓温権限のみで速やかに狙…
●殷浩北伐の背景: ●河北における冉閔台頭の背景: ●積極策を取れない司馬昱は、清談の士・殷浩に頼る。 ●352年殷浩北伐の開始: ・冉閔 ・鮮卑慕容部: ・氐族苻氏: ・羌族姚氏: ●殷浩北伐の背景: 350年の褚裒(チョホウ。外戚)の北伐の失敗。 それは本…
●石虎の死去が中華のパワーバランスを崩壊させる。 ●冉閔の暴走 ●東晋褚裒(チョホウ)の北伐は中途半端 ●石虎の死去が中華のパワーバランスを崩壊させる。 349年後趙皇帝石虎死去。 事実上の簒奪ではあっても、 石勒死後16年後趙の領土を保った巨星がついに…
桓温は 347年までに成漢の制圧を完了させた。 そのまま桓温北伐かと言えば、そうことは単純ではない。 ●成漢征伐と北伐の位置付けの違い。 ●北伐は桓温の権限では独断できない。 ●司馬昱(シバイク)の台頭 ●清談の士を重んじる西晋・東晋は殷浩を登用。 最…
東晋における北伐派と反北伐派について。 ●東晋において何故北伐派、反北伐派という視点がないのか。 ●中華王朝たる東晋にとって北伐は当然 ●事実上の皇帝代理司馬昱 ●司馬昱と桓温が活躍する時期はほぼ同じ。 ●桓温と司馬昱は北伐派。 東晋には実は北伐派と…
建国以来30年近く停滞している東晋。 この鬱屈とした東晋に 光明をもたらしたのが桓温である。 ●桓温が西府軍を預けられた理由 ●桓温、345年荊州に出鎮。西府軍の掌握。 ●345年の東晋の対外情勢 ●成漢 実は成国と漢国である。 ●桓温の成漢討伐 〈桓温の電撃…
●とにかく幼帝を嫌がった庾冰・庾翼: 〈康帝の危篤〉 ●庾冰・庾翼ら庾氏の悲願、北伐。 〈血統を変えてでも成年皇帝にこだわった庾冰・庾翼〉 ●作られたヒーロー、桓温が更に躍進する。 ●桓温を何充が重責に充てる。 ●何充、潁川庾氏と瑯琊王氏の両氏と姻戚…
●庾亮の悲願東晋北伐を343年に実現する庾翼とは。 ●343年北伐の実行。 ・遼東の慕容皝、涼州の張駿と連携。 ●康帝の崩御、2歳の幼帝穆帝即位。 ●司馬昱を後継にしようとする無茶。 ●巴の獲得と、庾冰・庾翼の死。 東晋が国家単位で北伐を初めて実施したのが…
●庾亮は北伐を実行して名誉挽回を図りたい。 ●北伐をしたい庾亮、石勒死後の絶好のチャンスを逃す。 ●庾亮いよいよ北伐かという時に石虎に叩かれる。 北伐を敢行した祖逖が失意のうちに死去。 その後東晋は王敦の乱、蘇峻の乱と内乱が続く。 いずれも、軍功…
パッとしない東晋の歴史。 その中で唯一輝かしさをもたらすのが、 桓温、そして北伐である。 しかし、東晋の北伐は桓温に至るまでにも実はある。 これは東晋の歴史がパッとしないことにも繋がるのだが、 後世力を持った者たちがこういった 事績を隠してしま…