歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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鮮卑慕容部

参合陂の場所について。

※内モンゴル涼城県の東北、つまり今の岱海周辺という 説もあるが、ここでは陽高県の説をとっている。 岱海近辺であれば、フフホトとウランチャブの間ということになる。 参合陂の場所について。 結論、これは≒白登山である。 ●参合陂はどこなのか。 ●戦略的…

慕容垂、運命の395年参合陂の戦い

慕容垂にとっては自身の運命を決めてしまった参合陂の戦い。 一方、北魏にとっては、華北の覇者となるチャンスを掴んだ、 いわば天下分け目の戦いであった。 天下と言っても、華北だけのことではあるが、 江南を異民族が支配したことはこの時点ではなかった…

西燕が本来の鮮卑慕容部の正統政権。鮮卑慕容部お家芸の内輪揉めはここにも。

●苻堅後の華北。 ●西燕は本来、前燕の後継政権。 ●西燕は建国当初から親慕容垂か、反慕容垂かで内紛。 ●慕容永が内紛を終息させる。 ●西燕における親慕容垂か、反慕容垂かで対立する理由。 ●慕容垂と慕容儁の不仲について ●野心家慕容永の登場。 ●慕容永、慕…

前秦だけではなく鮮卑慕容部も後燕と西燕に分裂した。

●慕容垂と慕容泓の自立。 ●鮮卑慕容部が後燕、西燕に分裂したと言い切る理由 ①元号 ②慕容垂「燕国の王」の意味 ●鮮卑慕容部が後燕と西燕に分裂した背景。 ●異民族の流儀、弱肉強食を地で行く慕容垂 ●慕容垂に河北帰還を妨げられた慕容儁の子供たち ●慕容垂は…

幽州の歴史④幽州の支配者がはじめて中華皇帝となる。

●遼東出身の鮮卑慕容部が幽州を足がかりに中華王朝へ変貌 ●遼東の中華化 ・中華の歴史に喧嘩を挑んでしまった前燕慕容儁 ●遼東の中華化で高句麗を従属させられるかどうかが中華の歴史において政治問題化する。 王浚死後、 幽州は石勒・石虎の後趙、 遼東は鮮…

慕容垂は悪人である。

●慕容垂の罪はなぜ許されるのか。 ●異民族の苻堅が東晋謝安という漢民族に負けたから。 ●謝安を持ち上げる漢民族優越主義 ●人として慕容垂の裏切りを許せますか。 ●鮮卑慕容部裏切りの歴史は自らを亡国へ導く。 ●異民族気質の慕容垂は自己中心的である。 ●慕…

慕容評より問題なのは慕容垂だ。

●慕容評の4つの事実 ●慕容儁の、慕容評の扱いと大きな差がある慕容垂いじめ ●従順な慕容評、その存在の特異性。 ●慕容垂は悪人である。 ●慕容評と慕容垂、どちらが奸臣か。 慕容評の実態について、 以下に四点に集約する。 これが実態である。 ●慕容評の4つ…

慕容評とは何者か。

●慕容評とは何者か。 ●慕容評は実は甥慕容恪らと同世代。 ●慕容評と慕容恪の相性が良い理由 ●後世のイメージとは異なり慕容評は最前線で戦っている。 前回は慕容評の歴史的評価に対する疑問点を挙げた。 今回は慕容評の実像を考えたい。 ●慕容評とは何者か。…

慕容評の歴史的評価に対する問題提起

前燕は慕容儁の時代に大きく勢力を伸ばした。 慕容評はこれに大きく貢献したのだが、 歴史の中から消されてしまう。 なぜなのか。 ●慕容評の存在は前燕にとって大きい。 ●後の「奸臣」慕容評は兄慕容皝、甥慕容儁に非常に信頼された。 ●慕容評が「奸臣」扱い…

前燕皇帝慕容儁の成功要因④慕容評の従順さ

後世の評価が低い慕容評。 これは事実ではない。 当時の歴史は、 東晋中心に描かれ、そしてその東晋に立ち向かった 苻堅を異民族の中ではピックアップする。 ●慕容恪をサポートする慕容評 ●慕容恪・慕容評ラインこそが前燕の成功要因。 ●慕容評単独では前燕…

前燕皇帝慕容儁の成功要因③弟慕容恪の胡漢両方のルーツを持つ

慕容恪(ぼようかく)がなぜ輔弼という概念を理解し、 そして実行し得たのか。 ●慕容恪は何故兄慕容儁を輔弼し得たか。 ・弟であること。 ・慕容恪は、異民族と漢人とのハーフ。 ●慕容恪の母の出自、渤海高氏とは。 ●姜斉、田斉の血を継ぐ者こそが中華の本流…

前燕皇帝慕容儁の成功要因②異民族として初めて輔弼をした慕容恪

●慕容恪は軍人として歴史的な人物である。 ●輔弼を初めて理解できた異民族・慕容恪 前燕慕容儁の成功要因は、 弟慕容恪と叔父慕容評の協調体制にある。 これは鮮卑慕容部としては、 稀な事象だということを①にて述べた。 ここでは、 慕容儁の弟慕容恪個人と…

前燕皇帝慕容儁の成功要因① 慕容恪と慕容評

鮮卑慕容部が、 大きく雄飛するのは慕容儁(ぼようしゅん)の時代である。 ●あっという間に河北を獲得した慕容儁 ●慕容儁の幸運、慕容恪と慕容評のサポート ●慕容部の兄弟争いはいつものこと ●叔父の専横も異民族の通例 これを実現できたのは、 弟慕容恪と叔…

常に孤立する前燕鮮卑慕容部、その理由。

●鮮卑慕容部、その孤立の理由。 ●鮮卑慕容部、7代かけて皇帝となる。 ●親中華の鮮卑慕容部は異民族から嫌われる。 ●鮮卑慕容部の親中華は、魏司馬懿の遼東攻略に始まる。 ●八王の乱をきっかけに鮮卑慕容部は孤立することになる。 ●四面楚歌を勝ち切った鮮卑…

慕容皝が、鮮卑慕容部が中華へ覇を唱える礎を築いた。

●鮮卑慕容部が燕として中華圏の勢力となったのが慕容皝時代 ・慕容皝の方針は、父慕容廆路線を継承。 ●慕容皝体制立ち上がり期の内乱 ・庶兄慕容翰らとの争い ・弟慕容評は慕容皝に従う。 ●慕容皝は鮮卑段部を滅ぼして、燕王を僭称する。 ・石虎を撃退 ・東…

慕容廆 鮮卑慕容部中興の祖

●慕容廆の治世の長さは鮮卑慕容部の安定をもたらす。 ●慕容廆の基本戦略は、西晋・東晋への従属で勝ち残る。 ※「宇文部について」 ●慕容廆が後を継ぐと、庶兄慕容吐谷渾は青海へ去る。 ●慕容廆、王浚・石勒らの攻撃をはねのけ、遼東で自立する。 ・第一の敵…

鮮卑慕容部の歴史概略

●鮮卑慕容部、慕容渉帰の代に一勢力となる。 ●慕容廆の代で鮮卑慕容部は自立した勢力となる。 ●慕容皝の代に燕王を名乗る。 ●慕容儁、前燕皇帝となる。 ●前燕のラストエンペラー、慕容暐。 鮮卑慕容部において、中華の歴史に関わって前燕の建国滅亡までの ト…