司馬懿・司馬師・司馬昭は何故
評判が悪いのか。
事実から紐解く。
下記3点は批判される点はある。
つまりは権勢家としてうまく行き過ぎたということだ。
●司馬懿
曹爽一派の打倒。
このとき郭太后を利用。(郭太后は魏明帝の皇后)
身の危険があったとは言え、権力争いの結果ではある。
●司馬師
廃帝(斉王芳)の廃位。
斉王芳は、司馬懿が明帝から後事を託されていた。
郭太后を利用。
●司馬昭
後廃帝(曹髦・高貴郷侯)の殺害。
春秋斉の崔杼や春秋晋の趙盾の例からすれば、
確実に司馬昭が「殺害」したことになる。
実際は指揮をした賈充なのか、
武器を振るって殺害した成済なのか、考え方の問題もあるが、
国家の大事なのでやはり責任者の罪であろう。
やはり郭太后に後追いで承認してもらう。
郭太后をうまく利用して、というか結果的に
騙したように見える。
一族として皇帝を二度廃位。前代未聞。
また二代続いてというのは前代未聞もこのとき初めてのこと。
前漢霍光、後漢梁冀ですら、
一人の皇帝を廃位したのみ。(それぞれ、昌邑王劉賀と質帝)
さらに霍光は子の代で族滅、
梁冀は廃位の後につけた桓帝と宦官により
殺害される。
呂后も一人の皇帝(少帝恭)を廃位。
その後呂氏は族滅。
よく事例に出る権勢家も、一族として見ても、
一人の皇帝の廃位が限界。それもその後族滅が基本。
実績から見て
暴虐・横暴と言われる当然と言えば当然。
本来、打倒されるべきだったが、しかしそうはならなかった。
魏王朝が徳がなかったと言えばそうで、
当時の百官の支持は司馬氏側にあったということだ。
実績からすれば悪行、
時代からすればこれが正しい道だった。