歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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中国は本当は色々な「国」が集まっている 〜北京現地レポート〜

北京の人に聞くと、

例えば四川省の人とは、同じ文化の人とは思えないそうだ。

長安もそうだ。

 

私のような日本人からすると、

不思議な感じがする。

いわゆる中国は、例えば長安とか洛陽とかの

古代の都を受け継いだ、中国であり、

その首都が北京なのだが、

別物に考える。

 

四川省の人は、

少しお金があれば、公園で麻雀ばかりしているという

イメージらしい。

 

北京の人は、サービス業の仕事に就きたがらないそうだ。

理由は、面子が立たないからとのこと。

 

何かドイツに似ている。

佐藤優氏著「大国の掟」によると、

ドイツ人が例えばカツレツを食べに高級ビアレストランに

行く話がある。

その店のオーナーはもちろんドイツ人だが、

ウェイトレスは、多分チェコ人かハンガリー人、

注文したカツレツの豚肉はハンガリー産

という話だ。

また

ハンガリーの豚小屋ではウクライナ人が働いている。

またそこで豚が食べている飼料は、ウクライナ産であるはず、

という話だ。

 

これが中国では、中国国内で賄われるものの、

各地域でこのドイツの構図、ドイツの構図は

ヨーロッパ全土及びウクライナまでの及ぶが、

中国イコールヨーロッパだと考えるときにわかりやすい。

 

日本人では、日本人に見える部分は

日本人しか見えないので、上記のような感覚があまりない。

 

北京の人にとっては、

張家口は全くべつもので、

もちろん済南もべつもの。

 

日本の、関東と関西の違いとは全く異なる。


北京の人たちには、いにしえの「燕国」ぐらいの範囲しか、

自身の価値観を共有し得ない。

 

日本国内であれば、価値観を共有しあえる、

私のような日本人には驚きだ。


同じ日本だから、例えば東京に住んでいる人が、

九州のどこかに旅行に行ったとする。

その宿泊先で同程度のサービスが受けられないと

腹がたつだろう。

けれども、海外旅行は違う。

お辞儀をされたり、「いらっしゃいませ」と言われたり、

されなくても、「ここは日本ではないから」、

と考えて、納得するはずだ。


中国にはオールニッポンのような感覚がないのだ。

北京の、旧「燕国」以外のエリアは、

この日本人にとっての海外に似ている。


アメリカ人の、アメリカ国内での感覚にも近いのかもしれない。

 

ちなみに、中国で勤勉な人が多いエリアは、

浙江省とのこと。上海のエリアですね。

 

国のあり方にも色々あると考えさせられる。

「中国」という世界を共有するものの、

同じ中国人だからと言って同じ文化を

共有するわけではない。

例えばマナーとか、言葉とか、食習慣とか。

 

日本人はこう言った基本的な価値観は共有していることが

前提にある。

 

国や民族という考え方は、

国家によって大きく異なることがわかる。