歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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中国史上で約30年で人口が10倍増えた時期がある。

●大幅に人口数が増えている時期がある。

 

中国の歴史書に記されている人口数は、

戸籍登録人口、実際には

城壁の中に住む、都市人口である。

時の王朝が掌握している人口の数である。

野に暮らしているものや、例えば騎馬に乗って遊牧している

異民族は含まれない。

 

大乱が起きれば、

戦死・疫病・自然災害による死などもあるが、

戸籍からいなくなった、把握できなくなった人たちというのも出てくる。

大乱から逃れるために、

山に隠れて自活する人は

歴史上の人口減少に影響を及ぼす。

 

反対に、

1717年から1749年に

人口数が約10倍に増えている。

これは戸籍登録人口が増えたため。

 

 

当時の清の康熙帝は、

税法を改正、

地丁銀制を用い、

それまであった人頭税、

つまり人一人に対してする

課税方法を止めた。

これにより、

戸籍の登録が著しく

増加したのだ。

 

よくよく考えてみると現実的な増加率ではない。

人口が10倍になる、

日本の人口が12000万人が

32年で12億人になるという

事態だ。

 

明末清初の大乱の後なので、

当然の男性の割合は

戦死などで低いはずだが、

今の日本のように

男女比が半々だとしよう。

 

 

そうだとしての

女性一人当たり、

二十人は出産をしないと

ならない計算になる。

 

もちろん初産の年齢も

今より早く、

この32年の間に生まれた女性がまたすぐ出産をするという

ことになるが、

それでも

女性一人当たり十人の出産は

必要であろう。

現実的ではない。

 

清の康熙帝の時代に、

税法を改正により、

国家が掌握する

人口数が増えた。

実際に人口が増えた、戸籍登録人口が増えたのは、

康熙帝の次代の、雍正帝・乾隆帝の時代である。