魏文帝曹丕から、
多大な信任を得た司馬懿。
しかし不思議なのは、
曹丕存命中には司馬懿自身は
わかりやすい実績を挙げていない。
西晋で奏でられる歌の歌詞に出てくる、
司馬懿の事績は孟達叛乱の鎮圧から。
それは魏文帝ではなく、
次代の魏明帝の時代だ。
2トップであった陳羣と比較しても、
司馬懿はこの時点では目立つ実績を挙げていない。
陳羣は220年に九品官人法を立案・実施、
また時期は魏明帝曹叡の時代と言われているが、
魏律という、魏王朝の法律を策定している。
それに比べて、司馬懿には、
目立つ実績がない。
曹丕の幕僚・重臣として仕えるのみだ。
逆にいうと
曹丕の評価が余程高く、
相性がとてもよかったと推測できる。
後年の司馬懿の実績である、
諸葛孔明を撃退し、
遼東の公孫淵を討滅したりなど、
を考えると、曹丕の判断は正しかったのであろう。
この実績は、
曹丕の次代、魏明帝曹叡が、
司馬懿を洛陽から地方に出鎮
(都から出て、地方の軍拠点に将軍として駐留すること)
させられたことから、この実績は生まれる。
魏明帝曹叡は、皇帝権の強化を志向していて、
陳羣は法整備のためとどめ置いたが、
前代の重臣司馬懿を煙たがり、まず南陽郡の宛に出鎮させた。
この時は、司馬懿はすでに48歳であった。