歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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司馬師は皇帝を廃し、霍光・梁冀・董卓に並んだ。

司馬師は李豊の変の後7ヶ月の逡巡の上、
皇帝曹芳を廃した。

これは非常に大きな歴史的転換点である。

司馬師は、
漢の三大悪人霍光・梁冀・董卓と同じ
皇帝の廃替を行なったにもかかわらず、
多数の名族の支持を受け成功させた。

霍光は霍去病の異母弟である。
霍光は漢の武帝の遺詔をもって、
昭帝を補佐していた。
昭帝が20歳で崩御した。
昭帝には子がいなかったので、
昌邑王を皇帝に立てたが言動に問題があり、
廃した。その後民間にいた宣帝を皇位につけた。
霍光の死後子の世代で専横甚だしく宣帝に
族滅させられた。

そもそも漢の武帝の後継者対策が不十分なため、
このようになったにもかかわらず、
皇帝を廃替したことで霍氏は悪人であった。

梁冀は外戚として専横し、
皇帝の廃替のみならず、毒殺もしている。
董卓も同様だ。

特に梁冀は、
この魏末のいわば名族の先祖を多く弾圧している。
宦官と手を組んだ梁冀は、
いわゆる清流派官僚たちを
粛清した。

清流派官僚を先祖に持つ、
この魏末の名族は、
梁冀と同じことをした司馬師を支持したのである。

事実上の清流・濁流の争いの終焉である。
その思想的な垣根は取り払われた。
皇帝廃替の実績は清濁の別にならなくなった。

清流の系譜を継ぐ、名族政権の司馬師は、
濁流の系譜を継ぐ曹魏皇帝の廃替を実行し得たことで、
戦いの決着を見た。

ここから先は、
名族と寒門の争いである。

皇帝を廃すにあたり、
司馬師は郭太后に上表している。

それは司馬孚を筆頭に46名の朝臣の連名になっている。

曹演(曹純の子)
曹初(曹仁の孫)
→ここまでは宗族

司馬孚
司馬師
司馬昭
司馬望
司馬瓌
→ここまでは司馬氏

王粛(王朗の子)
満偉(満寵の子)
甄氏
→これらは、司馬氏の姻戚

甄温
甄悳
郭建
郭芝
→ここまでは魏の外戚だが、司馬氏に組みしている。
甄氏は明帝の母の出身氏族だが、
曹丕に甄皇后側に殺されていることを忘れてはならない。

そして、
満偉(満寵の子)
鍾毓(鍾繇の子)
荀顗(荀彧の第六子だが、兄の早世により家督を継ぐ)
華表(華歆の子)
盧毓(盧殖の子)
など魏王朝の功臣の子たちが名を連ねている。

しかし、
ここに賈充がいないことを
覚えておいたほうが良い。
豫州を良く治め、大規模な運河を作り、
軍事的にも農政的にも成果を収めた賈逵の子、賈充は
ここに入っていない。
のちの権臣賈充がこの連名に入ってないのは注目に値する。