歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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諸葛誕の乱は余分だ。その2

諸葛誕が反乱を起こす必要がない理由:

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①諸葛誕は実は司馬氏の姻戚である。

②司馬昭は、玄学清談に理解があった。

③つまり曹爽や夏侯玄も理解があった。

④諸葛誕は夏侯玄と親しかった。

⑤諸葛誕の揚州諸軍事任命は、実は司馬氏の総意で

常に最有力候補であった。

⑥乱の後、司馬氏に嫁いできた、諸葛誕の娘は300年までは生きていた可能性が高い。

(諸葛太妃)

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諸葛誕という人選は問題はなかった。いや、むしろ手堅い人選だった。

だからこそ、乱を犯した毌丘倹の後任の揚州諸軍事は諸葛誕だったのだ。

 

<揚州諸軍事>---------------------------------------------------

曹休:220~228(鎮南将軍~大司馬・揚州牧・仮節都督諸軍事)

満寵:228~238(前将軍→征東将軍・都督)

王淩:240~251(征東将軍→車騎将軍・仮節都督)

諸葛誕:251~252(鎮東将軍・都督)

毌丘倹:252~255(鎮東将軍・都督)

諸葛誕:255~257(鎮東大将軍→征東大将軍・都督)

王基:257~258(鎮東将軍・都督揚豫)

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にもかかわらず諸葛誕は反乱を起こした。

司馬昭が諸葛誕の見立てを誤ったのか。

何か別の要因が諸葛誕の反乱を引き起こしたのか。

 

王凌は、太原王氏として、後漢の王允の甥として、

80歳の老身を押して、司馬懿に反抗しようとした。

太原王氏としての伝統・家風だ。

楚王曹彪を立てて、魏王朝として皇帝に実権を取り戻そうとした。

それはすなわち忠の形である。

しかし、動きを察知した司馬懿は、容赦なく王凌を誅殺した。

 

毌丘倹の主張ももっともであった。

本来司馬氏の恩徳に預かった身。

毌丘倹自身が一度失敗した遼東遠征を、

司馬懿の旗下で再度行い成功させた。

毌丘倹は罰せられず、昇進している。

そして、244年に毌丘倹は高句麗に遠征し、成果を挙げている。

功績も高く、功臣のひとりである。

にもかかわらず、毌丘倹は司馬師を弾劾した。

 

至極もっともな主張だ。

司馬師のみを弾劾。

司馬懿は忠臣、司馬師は悪臣だ、

弟の司馬昭よ、兄にとって代われと。

 

毌丘倹は敗死するが、司馬師はこの遠征での無理が祟り、

毌丘倹敗死後すぐに世を去る。毌丘倹の望みは別の形で叶った。

 

こうして、司馬昭は諸葛誕に揚州諸軍事を戻す。

 

司馬昭は、もちろん名族河内司馬氏の貴公子。だが、

興勢の役に曹爽や夏侯玄の軍に従軍していたり、

後に竹林七賢の代表的人物で清談を主導した阮籍との

上記に記したような関わりなど、

「浮華の徒」や竹林七賢に理解があった。

 

時に司馬師の寛容の政治を受けての司馬昭の世だ。

司馬師の責を負ってくれた

諸葛誕を元の揚州諸軍事に戻すのも当然といった時流なのである。

 

単純に派閥から見れば、諸葛誕は司馬昭と敵対。

しかし掘り下げれば、

司馬昭の思想と、当時の政治的潮流は、

諸葛誕に寛容であった。

また、実は諸葛誕は司馬氏と姻戚でもあった。

司馬師・司馬昭の異母弟司馬伷の妻は諸葛誕の娘である。

(余談だがこの夫婦の孫が東晋の元帝である。)

 

そもそも、王凌の後任の揚州諸軍事は諸葛誕だったのだ。

諸葛誕は、司馬師の東興の戦いの責任を取って、

毌丘倹と任を代わったのだ。司馬師はこのとき自らを弾劾したが、

責任をとるわけにはいかないので、諸葛誕に肩代わりしてもらったことになる。

 

諸葛誕に揚州諸軍事をやってもらう、

これは司馬師・司馬昭にとって、いや司馬懿にとっても、

手堅い選択肢だったのだ。

王凌の誅殺後の揚州諸軍事任命だから、司馬懿もまだ存命だ。

 

その諸葛誕が反乱を起こした。

 

一般的な印象は諸葛誕の反乱、やむなし、当然のような

印象がある。当然に見えるこの乱。

王凌や毌丘倹の反乱とは異なるのだ。

諸葛誕には、反乱を起こす必然性はどこにもない。

諸葛誕が司馬昭に狙われる理由などないのだ。

 

司馬昭にとっても、諸葛誕に反乱を起こされるいわれもない。

司馬昭にとってこの反乱は確実に意外だった。

 

では、諸葛誕は何故乱を起こしたのか。

起こす必要のない乱を何故諸葛誕は起こしたのか。