この蜀漢は、
劉備と劉禅の主張では、漢を継ぐものであった。
この主張が輿論に十分に通じる証拠がある。
西晋末の劉淵が、304年に漢を建国した時に、
劉淵は当時蜀の後主と言われていた劉禅を継ぐと
主張して皇帝になったのだ。
そして劉淵は、
劉禅に対して、
孝懐皇帝という諡号を追贈する。
劉禅は、皇帝であったが、魏の軍勢を前に降伏したので、
皇帝としての諡号は贈られていなかった。
263年に蜀漢が滅亡し、
265年に西晋が成立、
280年に西晋は呉を滅亡させて、天下を統一した。
にも関わらず、304年当時に、この漢を継ぐという
考え方は輿論の支持を受けていたのだ。
漢の正統性、蜀漢の正統性というのが
輿論の高い支持を得ていたことを伺わせる事象である。