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【楊駿政権】ーーーーーー
290年4月世祖武帝司馬炎崩御。
恵帝即位。
外戚弘農楊氏の楊駿が後見。(後漢の名臣楊震の末裔ということになる。)
楊駿は、太尉、太子太傅、都督中外諸軍事、侍中、録尚書事。
非常に緊迫感のある情勢で、
武帝司馬炎の葬儀に宗師として司馬氏宗族の長老司馬亮は
参加しなかった。
背景としては、武帝司馬炎は自身の死にあたり、
宗族の長老で宗師の司馬亮と楊駿に後事を託そうとしていた。
しかしながら、楊駿が司馬亮を御前に招く武帝司馬炎の詔勅を握りつぶしていた。
そのため司馬亮は結局後事を託されなかった。
このことにより、楊駿以下楊氏一族は、司馬氏宗族から目の敵にされる。
楊駿は全権を手に入れたのち、
さらに太傅、大都督、仮黄鉞にも任じられる。
291年3月
恵帝の皇后賈后が、軍を使ってクーデターを起こす。
はじめ、賈后陣営は
宗師司馬亮(?ー291年。司馬昭の異母弟。司馬懿の第三子。汝南王、侍中、大司馬、仮黄鉞、大都督、督豫州諸軍事)に
支援を求めたが断られる。
そこで、恵帝の弟司馬瑋(271年ー291年。楚王・鎮南将軍・都督荊州諸軍事)に支援を求めたところ、
受諾され、計画は実行に移る。
司馬瑋は、異母弟の淮南王司馬允(272年ー300年。恵帝の異母弟。都督揚州諸軍事)とともに2月に洛陽に入る。
291年3月8日の夜、
恵帝に楊駿解任の詔勅を書かせることに成功。
楊氏一族を殺害する。
楊太后は餓死させた。(恵帝の生母は楊氏はすでになく、この楊太后は生母の従姉妹である。)
【司馬亮政権】ーーーーーーーーー
賈后は、司馬亮を許昌から召して、太宰として政権を預ける。
合わせて、楊駿に引退状態にされた衛瓘を復帰させ、録尚書事に付けて、
政権運営をさせる。
しかしながら、司馬亮がまず手をつけたのは、
楊氏殲滅に功績のあった東安王司馬繇の排除であった。
司馬繇は、司馬伷(司馬亮の同母弟ですぐ下の弟。227年ー283年)の三男である。
司馬伷は、その死に臨んで、武帝司馬炎に、
四人の男子に所領を分割相続することと、
生母諸葛太妃(司馬氏に乱を起こした諸葛誕の娘)の陵墓に
葬られることの許可を求め、許されている。
→だからこそ司馬伷家は存在感が薄い。
諸子分割相続だと、勢力が分散し、影響力が低下する。
また兄弟間の仲違いが起きやすいのもお決まりのパターンだ。
司馬伷の長男の長男、すなわち嫡孫が後の東晋元帝司馬睿である。
長兄司馬覲(しばきん。256年ー290年。瑯琊王。35歳で急逝。後の東晋元帝の司馬睿が後を継ぐ。)は、楊氏の変の前に死去。
次兄司馬澹は司馬繇の栄達を嫉妬し、
司馬亮に司馬繇のことを讒言する。
司馬亮は司馬繇と溝もあったので、それを受け入れ、
司馬繇を失脚させる。
今度は、司馬亮は、楚王司馬瑋をターゲットにする。
荊州諸軍事として軍権を持ち、
果断、気鋭、強情、人に従わない、
すなわち扱いにくく煙たい存在の司馬瑋を洛陽から追い払おうとした。
しかし、失敗。
司馬瑋は、賈后に接近して、
洛陽に留まることとなる。
衛瓘に恨みを持った者が、
司馬亮と衛瓘は賈后の廃立を企んでいると注進。
賈后は、
衛瓘の娘が本来は恵帝の皇后になるところであったという経緯もあり、
衛瓘に対しての印象は良くなく、
また司馬亮と衛瓘に政権運営を任せていると、賈后自身の思い通りにならないことも多いので、
両名の抹殺することを決意する。
291年6月
賈后は恵帝に詔勅を書かせる。
「司馬亮と衛瓘は、天子の廃立を行おうとしている。
司馬瑋は、司馬允と司馬穎に宮門をまもらせ、司馬亮と衛瓘を免官せよ。」
→恵帝は、自身の弟達にのみ実行部隊にしている。
司馬亮は自府を囲まれたが、防戦しなかった。
これは、楊駿と同様である。
何故なのかはわからない。
司馬亮は当時60歳は超えていたはずである。
司馬亮の司馬瑋に対する措置は中途半端で甘かった。
不戦のまま囚われ、司馬亮は「私の赤心を天下に示したい」と歎じるも、
残酷な司馬瑋は、司馬亮を殺した後洛陽城の北壁から遺体を放り投げ、
遺体は目も当てられない姿となったという。
衛瓘は、恵帝の弟司馬遐が逮捕しその部下が勝手に即座に殺してしまった。
詔勅は免官であったが、
司馬亮・衛瓘は殺害された。
政変は成就するも、
ここで賈后と司馬瑋はそれぞれ疑心暗鬼に陥る。
お互いがお互いを邪魔に思い、
お互いの陣営から互いを殺害せよと建言がある。
司馬瑋は岐盛から受けたが、逡巡した。
賈后は張華から受け、賈后は受け入れた。
張華は、「騶虞幡」(戦闘における皇帝の指示旗。戦闘止めの意味。
逆に戦えの意味は白虎幡。蜀漢滅亡後諸葛亮の兵法を研究した時に採用された。)を
用いて、
司馬瑋の軍勢を解散させ、
丸腰になった司馬瑋は逮捕される。
291年6月13日に司馬瑋は処刑される。
ここに賈后の政権掌握は確立する。