歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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八王の乱⑩ 賈后を滅ぼした司馬倫・孫秀は本性を露わす。

 

【司馬倫政権】-----------------------------

司馬倫は賈后を間接的に嵌め、

皇太子を殺害させて、皇太子を殺害した賈后および賈氏一派の

打倒を掲げて、政権を奪取した。(3004月)

 

その謀主は、司馬倫である。

 

司馬倫は、西晋高祖司馬懿の第九子で、末子である。

司馬懿の晩年の子である。

最低でも50歳近い年齢である。

 

司馬師、司馬昭の異母弟であるが、

親子ほど年が離れている。

 

西晋において天命を受けたのは太祖司馬昭である。

司馬倫にとって兄に当たる。

そして、司馬昭の天命を継承したのは世祖司馬炎である。

司馬倫にとって甥にあたる。

この意味は非常に大きい。

漢において、太祖は劉邦、世祖は光武帝劉秀、ということを

考えると、司馬炎の血統こそ天命を継承するということを指し得る。

 

光武帝劉秀が建てた後漢において、前漢皇帝の末裔は不遇であったことを

追記する。

 

司馬倫は、皇位を継承する資格がない宗族であった。

これは司馬炎が弟司馬攸への対抗から生じた西晋の大義名分である。

 

司馬倫は、亡き皇太子のための賈后排斥という大義名分であったので、

まずは皇太子司馬遹の第二子司馬臧(第一子は病没していた。)

を皇太孫に立てた。

 

一方で、

司馬倫は相国・都督中外諸軍事となる。

相国は非常設の政権の最高位である。

都督中外諸軍事は軍権の全権掌握のポジションである。

 

いきなりの相国である。

司馬昭、司馬炎以来の相国である。

 

確かに司馬倫は大功を挙げたとはいえ、

唐突感がある。

 

その野心は早々に明確になる。

 

司馬倫は、権力の専横を企図し、

司馬允と司馬冏を排除しようとする。

 

司馬允は、武帝の第11子で恵帝の異母弟である。

生年272年である。

 

司馬炎崩御直前の28911月に

封じられた三王のうちの最後の一人である。

他は、一人は司馬柬、恵帝の同母弟であり、

武帝司馬炎に最も寵愛され、才能があったとされる。

しかしながら、291年に早くも死去していた。

もう一人は司馬瑋である。

賈后の依頼に乗り楊氏を滅ぼし、

その後賈后の要請により司馬亮を滅ぼし、

最後は張華に嵌められ殺害された、あの司馬瑋である。

司馬瑋は武帝司馬炎の第五子、恵帝の異母弟である。

司馬瑋は性格は横暴だが、その分剛毅であった。

 

つまり武帝司馬炎が世を去る前に、

恵帝を守るためにはこの三人の子供が最も頼りになると判断したわけである。

 

司馬允はその最後の生き残りである。

沈着剛毅で人望もあった。

司馬倫の賈后クーデターの際には、

驃騎将軍・開府儀同三司・領中護軍であった。

中護軍は禁中を護る軍を率いる立場である。

 

賈充が魏皇帝曹髦を弑逆した際に、

賈充が就いていた官職が中護軍である。

 

中護軍は賈充の事例から分かるように、

皇帝を護ることも殺すこともできる。

悪臣を殺すこともできる。

 

やりたい放題やりたい司馬倫と孫秀からすれば、

司馬允の武力が目障りで仕方がない。

 

司馬倫と孫秀は、

司馬允を三公の太尉にして軍権を取り上げようとした。

 

司馬倫・孫秀の意図をすぐに悟った司馬允は挙兵。

 

この時司馬允は、

「趙王(司馬倫のこと)は我が家を破滅させようとしている」

と言って挙兵しているが、

この「我が家」というのは実は限定されていることを私は強調したい。

 

これは司馬氏全体のことではなく、

司馬昭ー司馬炎家のことである。

太祖ー世祖として宗族司馬氏の中で皇位を継承できる家のことを指す。

司馬炎の第11子で、恵帝の異母弟である司馬允は、

司馬炎家を盛り立てる立場である。

 

宗族の一員とはいえ、

司馬昭の末弟司馬倫とは、「我が家」を共有できない。

 

相国(禅譲の条件の一つである)に就き

明確に皇位を窺おうとした司馬倫に対して、

司馬允は明確に反発したのである。

 

武帝司馬炎が本来曖昧な自身の立場を、

確固たるものに権威付けしたことで、

宗族間の諍いを惹起した。

 

西晋の繁栄は宗族の共通目標ではなく、

司馬昭ー司馬炎家のみの目標となり、

司馬倫ら、非司馬昭ー司馬炎家は排除された。

 

となれば、

司馬倫の野心が司馬炎家の排除に向かうのは当然と言える。

 

武帝司馬炎は、こうして宗族間の対立の火種を

残してしまった。

 

司馬允は、非常に有利な状況で挙兵し、

早々に司馬倫・孫秀を排除できる情勢にあったが、

伏胤に騙され殺されてしまった。

伏胤が、司馬倫の子司馬虔と通じていたからである。

 

 

司馬倫と孫秀は、幸運にも、

司馬允を殺害することができ、次のステップへの地歩を確保した。