歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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八王の乱⑮ 言い出しっぺと実行者が異なることで対立が生まれる。司馬穎 司馬乂

①司馬朗家(司馬威)

②司馬馗家(司馬越)

③司馬孚家(司馬顒)

④司馬肜

⑤司馬倫

⑥司馬伷家(司馬睿・司馬澹・司馬繇)

⑦司馬駿家(司馬歆)

⑧司馬攸家(司馬冏)司馬師家でもある。

⑨司馬允

⑩司馬乂

⑪司馬穎

 

302年12月に司馬冏が敗死すると、

プレイヤーは上記の6プレイヤーとなる。

 

司馬穎が中心となって、司馬冏打倒の軍を起こしたが、

実際には、司馬乂が驃騎将軍として恵帝を奉じて宮中の軍を

引き連れ見事司馬冏を逮捕、斬り殺した。

 

内戦の様相だったのを、

司馬乂は鮮やかに司馬冏を打ち倒したのである。

恵帝を奉じて司馬冏を打倒する司馬乂は輿論の名声を一身に浴びることとなる。

 

すなわち、

言い出しっぺと実行者が異なると言う今までと同じパターンになる。

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司馬倫のクーデター:対賈后 言い出しっぺ:司馬倫 実行者:司馬冏

司馬冏のクーデター:対司馬倫 言い出しっぺ:司馬冏 実行者:司馬穎

司馬穎のクーデター:対司馬冏 言い出しっぺ:司馬穎 実行者:司馬乂

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司馬倫のクーデターは、司馬倫が賈后クーデターの檄を飛ばしたが、

実行者は司馬冏。

司馬倫は実権を握ったが、

司馬冏は論功行賞に不満を持ち、のちのクーデターにつながる。

 

司馬冏のクーデターは、司馬冏が司馬倫クーデターの檄を飛ばすが、

実際に洛陽を陥したのは司馬穎であった。

これも実行者が異なる。

 

司馬穎側に不満が残り、後の司馬穎の司馬冏に対する挙兵につながる。

 

司馬穎が司馬冏に挙兵するも、

上記のように今度は実行者は司馬乂であった。

 

言い出しっぺと実行者が異なる、

三パターン目である。

 

基本的には、言い出しっぺが論功行賞第一位になるので、

司馬穎が政権を取り、それに対して司馬乂が不満を持つというのがパターンである。

 

しかしながら、

ここでパターンがずれた。

 

司馬乂は、司馬穎の兄でありながらも謙虚で謙譲の美徳を持っている。

司馬冏の司馬倫に対するクーデター後、司馬穎が司馬冏と潜在的に対立する中、

司馬乂は弟司馬穎に対して、政権を取るべしと言っている。

 

自身もその権利がある中で、司馬穎に対して、

至親であり、この世は父武帝の天下なので、司馬穎が政権を取るべきだと言っている。

 

司馬乂は、司馬穎の指示の下、恵帝を奉じて司馬冏を滅ぼしたと思っている。

司馬乂は、司馬穎が政権を取ることを望んでいるが、

司馬穎は難癖をつけて拒否をする。

司馬穎の目指すところは、自身の絶対権力であり、事態の収拾ではなかった。