歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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恵帝毒殺犯 懐帝司馬熾 〜動機の解説③〜 そして八王の乱は延長戦へ


経緯と出自から読み解く。
司馬熾の動機。

 

動機は以下の三つである。

①司馬顒派の皇太弟である自分が廃される必然性、
②その後に待っている世から忘れ去られた存在に逆戻りする悲哀、
③場合によっては殺害される可能性も否定できない、

 

これである。

 

後世の悪評からすると意外なことだが、
この時代、絶対無比の存在であった皇帝恵帝。
 
皇帝には武帝司馬炎の子にしかなれない。
その中でも、
恵帝は武帝司馬炎の嫡子である。
彼の正統性は誰も否定できないのだ。
 
恵帝は誰が最高権力者でも、
自分を侵犯しなければ誰でも良かった。

そもそも絶対的存在なのである。
 
恵帝はまだ48歳。
普通に考えて後10年は生きる。
 
恵帝からすれば、司馬越が乱を収めてくれたおかげで、
ゆっくりできるという感想だ。
 
しかし、司馬熾はそうはいかない。

 

【司馬熾の生き残り方、その手法】

 

司馬熾は今すぐにでも皇太弟の地位を奪われるかもしれないのだ。

 
となればどうするか。
 
まずは皇太弟の地位を奪う可能性がある、
司馬越を殺せば良い。
 
しかし中華の内乱も収まっていない中、
司馬越の警戒は厳しい。
そもそも司馬顒派である司馬熾に対して警戒心を解いているなどということは
この時代にはない。
 
何の実力もない司馬熾に行動の選択肢など
大してないのだ。
 
司馬越もさぞかし高を括っていたことだろう。
 
しかし窮鼠猫を噛む。
 
司馬熾は、ここで考えた。
 
皇太弟は皇帝の世継ぎである。
皇帝の世継ぎは恵帝という絶対無比の存在の元、
コロコロ変わる。
 
逆に言えば、
恵帝が死んで、世継ぎが皇帝になれば、
固定するのだ。
 
司馬熾が生き残るにはそれしかなかった。
 
幸いにも、恵帝は宮中にいるので、
皇太弟である司馬熾からすれば、どうとでもアクセスできた。
 
司馬熾は、恵帝の食するむぎ餅に毒を入れた。
恵帝はそれを食し、
翌日に亡くなった。
 
皇太弟である司馬熾は皇帝に即位した。
 
司馬顒に擁立された皇太弟だった司馬熾は、
司馬顒の敵対者司馬越と協力し得ない。
 
皇帝となった懐帝司馬熾は、司馬越と戦い始める。
司馬越を始めとした司馬越兄弟を中央から排除しようとする。
 
ここに八王の乱の延長戦が始まる。