歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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307年12月司馬越、丞相になる~司馬越の逆襲 懐帝を傀儡にするという決意~

司馬越 VS 西晋懐帝 

 

307年司馬越は、

中華の治安確保に時間を割いた。

が、懐帝に裏切られた。

 

 

30712月丞相となる。

西晋においてこれは珍しい称号を使っている。

 

直近で丞相といえば、

魏の曹操、蜀漢の諸葛亮である。

 

両名とも丞相位に就いて、

文武の全権掌握をしている。

 

司馬越は文武の全権掌握をするぞという

意思表明をしていることになる。

 

この丞相位就任は

喬詔と言われる。

 

基本的に司馬越は、

西晋最後の最高権力者であり、

かつ皇帝の地位を脅かしたものであるので、

後世に良く言われるはずはないと考える。

 

この喬詔だが、

懐帝がそもそもの敵対者司馬越に

すんなりと丞相にするわけがないのだ。

 

懐帝には、身を守ろうという意思が強いが、

妥協するほどの政治的センスがない。

 

一方、司馬越は、顔に泥を塗られた気分だ。

 

将卒を率いて、

各地を転戦し治安確保に努めていた。

それは西晋王朝の復興が当然大名目になる。

 

司馬越は皇帝の信頼を得て、

その意思を代行している。

そういう立場で臨む。

 

にも関わらず

裏切られた司馬越はそもそも甘い。

 

この丞相位就任も、

懐帝を脅し監禁し、

強制的に詔を出させればよかったのだ。

 

しかし、

甘い司馬越は、

曖昧な形にして、丞相についた。

 

これが偽詔ならば、

懐帝に自由を与えたまま丞相に就いても、

内外の権力を掌握したことにならない。

司馬越の名声が下がるからである。

つまり意味がない。

 

逆にこれは喬詔ではなく、

事実懐帝の真意とする。

 

しかし、懐帝はここまで司馬越に反発していたのを

輿論は知っているので、

これは脅されて出したのだ、偽詔だ

となる。

 

いずれにしても、

司馬越にとって、なんの得にもならない。

最高権力者としての自分を明確にするという

ゴールも達成できていない。

 

 

司馬越は甘いのだ。