歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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鄴の東を下にして地図を見る~覇者の地・鄴~

 

鄴は曹操が本拠地を置いた時から、

覇者の地としての歴史が始まるのである。

 

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洛陽⇔幽州(北京)間の回廊、その真ん中に鄴はある。

 (引用元:地図で訪ねる歴史の舞台 帝国書院 ※武藤加筆)

ここ鄴を抑えることが華北の覇者としての条件となる。

覇者の地としての鄴の歴史が始まったのは、

曹操が銅雀台を含む鄴城三台を築城した210年である。

 

鄴を中心に、東を下、西を上にして地図を見る。

 

鄴は、後背地に山西高原を抱える。

豊富な馬資源の補給を鄴は受ける。

鉄壁の堅城鄴城三台には軍事物資がみなぎる。

目の前には、大河黄河が控え、天然の堀としての役割を成す。

 

黄河の向こう岸は、黄河の乱流のため、

湿地帯である、川床のような、平地であり、敵対勢力があったとしても、

拠点を作りにくいエリアである。

 

後ろに山、前に河。鄴の守りは鉄壁である。

 

さらに、鄴は移動にも適している。

右に歩を取り、騎馬でひた走れば、

洛陽に到着する。

 

鄴の、前の中華の覇者の都市、洛陽にもほど近い。

 

鄴から左に方向を取ると、

現在の幽州、北京に辿り着く。

 

曹操から南北朝末期にかけて、

幽州の存在感はどんどん増して行くが、

それまでは鄴の下風に立っていた。

 

しかしながら、とはいえ幽州、現在の北京は、鄴に準じる条件を

満たす。

 

東西南北そのままで幽州、北京を見ると、

北に山地、その奥に馬の産地を持つ。

その補給を万全に受けられる環境にある。

 

また南には少し離れてはいるが、

黄河がある。

 

東はのちの山海関あたりは湿地帯で、

ここは交通の便が悪いが、軍事上の防御としては都合が良い。

 

西には、黄河の影響を受けにくい平地があり、

鄴までは一直線である。

 

幽州、北京は中華にアクセスするためには、鄴を通らなければいけない。

 

なので、鄴を確実に押さえれば、

幽州すらも、その手に入ることになる。

 

鄴と幽州を抑えれば、

脅威的な軍事力を握るのと同じである。

 

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それを元に、曹操は圧倒的に有利な状況で覇業に乗り出した。

石勒も同様の構図を作って、華北の覇者に上り詰めた。

 

 

 

 

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