歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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なぜ織田信長は面白いか。

それは事実だからだ。

太田牛一が守った事実だからだ。

 

本当の事実というのは
週刊誌のゴシップに近い部分も含めて人間臭く本当に面白いものだ。

 

太田牛一は、
豊臣家から信長公記を隠して、
著述、著書を隠した。

 

それは、時の権力者にとって、好ましい内容ではないことを
太田牛一はわかっていたからだ。
だから隠した。だから事実に限りなく近い内容が残った。
だから信長は面白い。

 

だいたい面白くない歴史のパートは嘘だ。

壬申の乱、
明治維新、
嘘ばかり。

 

なぜか。それは時の権力者が歴史を、
自分に都合の良い「伝説」に変えてしまうからだ。

中華の歴史は、


唐の晋書以降、
王朝成立のたびに歴史を伝説に変えてしまう。
だから個別の人物像が鮮明ではなく、面白くなくなる。

面白いのは、


司馬遼太郎のようなプロの人が、
史実を膨らませて、いや盛って小説調にしているからだ。
それは三国志演義と同じ。

 

私はこれに真実味を感じず面白さを感じない。
中学生の自分は三国志演義に感動したが、
今は感動しない。

どうにも嘘くさいことばかりだからだ。

 

事実を盛って、小説調にするのは、
感動狙いだからいいけれども、
そもそも事実を改変するとディテールがわからなくなり、
深みがなくなる。

だからよくわからない。
真実味がなくなる。
面白くなくなる。

 

だからこそ、一つのアプローチを提案したい。
それは歴史上評価が悪い人をたどることだ。

彼らは必要以上に悪く書かれているので、
実は真実に迫りやすい。

 

どういった人物が対象か。

中華の歴史であれば、例えば、
曹操、司馬懿、異民族など。

日本史であれば、
例えば、
平清盛、北条義時、明智光秀など。

 

わかりやすいのは、
彼らが行った良い事として書かれているのは、
まずそのまま事実だという事だ。

悪く書きたいという時の権力者の意向が
働いているのに、良い事が書かれているということは、
それは隠せなかったことになる。

 

そして、隠せないことは認めるしかないが、
それ以上に盛って誇張する必要もない。

だから確実に事実だ。

 

曹操が献帝を保護し、
魏王に留まって寿命を迎えたのは、
時代が変われば、周文王と同列の行為だ。

司馬懿が諸葛亮の挑戦に乗らず、
専守を貫いたのは、強い自制心で自重したからだ。

 

平清盛が日宋貿易を私財を投げ打って、
約300年振りに行ったのは、時代を変えた。

 

北条義時が、武士の大半の支持を得て、
後鳥羽上皇に刃を向けたのは革命的である。

明智光秀のような謀反人が、


今尚名字は地名に残り、亀山では祭りも行われるのは、
彼が支配層としては相当に慕われた証拠である。


隠しようのない事実から、
彼らの実態がわかる。

 

そうすると、
彼らにブラインドを被せて、
隠していた人物が誰なのかがわかる。

今度はその人物たちの悪い部分をそのまま事実として
認識する。

良い良いとされていることは、
盛って書かれているとして、
慎重に事実を紐解く。

それで歴史の実態は読める。


歴史の真実は絶対に面白い。