歴史はその現場を実際に見てきた人しか、
真実を知り得ない。
書物で読んだとしても、
その事実は書いた著者の見たい歴史像に左右されている。
我々が知り得る歴史は全て、誰かの目を通して認識した歴史になっている。
ある事象を史記で読んで理解したとする。
またある事象を資治通鑑で読んで理解したとする。
この時点で司馬遷なのか、司馬光なのか、
それぞれの視点で、その歴史の見え方が違ってくる。
多分にそれはそれぞれの著者が見たい歴史なのだ。
司馬遷は史記を前漢武帝に捧げた。
古代漢民族の絶頂期、前漢武帝の絶頂期の裏付けとなる、歴史を書くことが命題となる。
司馬光は、北宋の苦しみを代弁している。
北宋は間違いなく、中華の正統王朝である。
だからこそ、天下に唯一の皇帝である。
しかし、1004年澶淵の盟で、
契丹遼の皇帝を認めさせられた。
漢地に深く入り込んだ澶州で盟を結ばされた。
澶州は、濮陽のことである。
濮陽は黄河南岸であり、そのまま平地を南に降れば、
帝都開封なのである。これは事実上の北宋にとっての、
城下の盟なのである。
中華皇帝のストーリーを自ら破壊したことに他ならない。
だから、あまりピックアップされないが事実である。
憎っくき北方異民族である。
だから五胡十六国や南北朝の北の異民族王朝を絶対に皇帝と認めなかった。
しかし北宋は隋唐の系譜を継ぐので、
隋唐は皇帝と認めるのである。鮮卑系なのにである。
このように著名な書物でも偏見に満ちている。
そしてそれを読む我々も、どうしても偏見が出る。
だから、
それぞれの人にとっての歴史があっていいのだ。
「私はこう思う」で良いのである。
それぞれが解釈した歴史を知り、
そういう歴史の見方もあるのかと知ることが歴史の面白さだと私は思う。
絶対無謬の歴史はない。
その場にいた人物しかそれは知り得ないのだ。
だから後世の我々は、誰かの視点が入った歴史をベースに
さらに我々の視点で歴史を認識する。
最低でも二重の偏見が入っている。
だから、それをそれぞれの人たちが、多角的に解釈することで、
歴史の面白みが増すのではないかと私は考える。
前向きな意味で歴史に真実はない。