歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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みんなの歴史の「偏見」が集まれば真実に限りなく近づく

円は線の集合体と見ることもできる。

一本一本線が集まっている。

ミクロンの世界では線の集合体だが、肉眼で見たら円にしか見えない。

 

 

それが限りなく真円に近づいていく。

 

歴史の真実へのアプローチというのは、

こういうものなのではないかと私は考える。

 

様々な人が歴史を知り、その人なりの歴史の捉え方をする。

多角的、複眼的に歴史を見る。

その捉え方は実はそれぞれ独創的である。

 

それが集まった形が最も真実に近いのではないかと私は考えている。

 

●どうしてもフィクション性があるのが歴史

 

歴史はどうしても、

フィクション性がある。

 

そういう意味で歴史は文学だとも言える。

だからこそ、大学は文学部に史学科はある。

 

どうしても、事実を記しているとしても、

その著者の偏見が入ってしまうのだ。

 

その著者も当時の時代背景に左右されてしまう。

権力者、風潮、思想、様々なものに左右される。

 

そして、当然現代の我々も、

現代という時代に影響を受ける。

 

天皇も、

元は〇〇院としか言わなかった。

 

それが変わったのは江戸時代である。

 

確実に時代の影響を受けるのが歴史だ。

 

三国志の世界では、

今は蜀漢や劉備関係が支持を得ている。

しかし、五胡十六国、南北朝において、

北側の王朝が劉備を顧みることはない。

 

本来支持されたのは確実に曹操だ。

曹操は長江以北、秦嶺山脈以北エリアの覇者の初めだ。

 

五胡十六国、南北朝の北朝は、

全て、曹操の領域と同じだ。

 

そればかりか、

兵戸制といった兵の調達の仕方や、

法の運用の仕方、全て曹操が由来だ。

 

劉備や孫権は、北朝に何の関係もない。

 

彼らをイデオロギーとして利用することはあるだろう。

だが、事績としてベンチマークすることは何もない。

 

300年の八王の乱勃発から589年隋の楊堅による中華南北統一まで、

北朝が劉備や孫権を顧みることなどないのだ。

 

約300年近く、中華の北側では、

劉備や孫権は忘れ去られた存在だった。

 

それは時代と権力者がそうさせた。

 

曹操と同じ領域を治める王朝が続くという時代。

そしてその王朝は曹操の遺産を継いでいる。

 

逆に南側の王朝は、孫権や劉備の遺産を継いでいる。

 

南側の王朝と対立する、北側の王朝としては、

彼らを支持、評価することなどないのである。

 

 

●歴史学者すら真実にはたどり着かない。

 

歴史学者は、当然その雇われ主の意向を気にして、

研究を進める。

それは、司馬遷や司馬光らと同じである。

 

彼らは司馬遷や司馬光らと同じように彼らにしか、

アクセスできない資料を手に取ることができる。

 

しかし、その代わり、表に出してはいけない資料も当然ある。

 

だから、新たな歴史にアクセスできたとしても、

オープンにできないことは多々あるのだ。

 

そのルートでのアクセスでは実は歴史の真実に迫れない。

 

となれば、今ある情報だけで、

それぞれのバックグラウンドから、

歴史を認識していく。

解釈していく。

 

それが大事だと私は考える。