歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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漢人と異民族の両方の価値観を押さえた者が中華に覇を唱える。

漢人と異民族の両方の価値観を押さえた者が中華に覇を唱える。

 

 

中華の歴史は、

漢人と異民族の両方の価値観を押さえた者こそが覇を唱えることができる。

 

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上記記事で説明した通り、

差別、被差別が中華の歴史である。

この二つの側面を凌駕した人物が英雄となる。

 

片手落ちではいけないのだ。

 

●異民族の価値観は、攻め。

 

異民族の軍事力。

これがないと、敵対都市を奪い取れない。

敵国から自国を守れない。

 

しかし、異民族の軍事力だけだと、

都市の統治ができない。

 

異民族の流儀は、

弱肉強食である。

 

全てが奪い合いの文化で、

親兄弟すら安心はできない。

 

絶対的権力者がいたとしても、

死去すれば、後継は事実上のゼロベースだ。

その者が在世中に何を言おうが、

全ては力で反故される。

 

匈奴に関しては、

単于死去後の内紛はお家芸ものである。

 

●漢人の価値観は守りの価値観

 

一方、漢人の価値観は守りである。

 

農耕文明の特徴といってもいい。

 

それは一言で言えば、秩序である。

 

仁義礼智、そもそも儒教的価値観が守りである。

 

よく言われるのは、

農耕文明は集団体制が必要で、

それを維持するためには秩序が必要だという話だ。

 

これが集団、組織での活動を促す。

 

大規模な生産活動は、組織化が必要である。

 

漢人の価値観は、組織化に優れていて、

そのためたくさんの文物を生み出してきた。

 

農耕を始め、建築、土木、工業生産には、

漢人の価値観は有利である。

 

漢人文明において、

その最大の成果物は、人口の増大だったのではないか。

 

 

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清の康熙帝以前においては、

中華の最大人口は、

6000万人だった。

これは戸籍登録ベースなので、

漢地においては最も存在していた。

 

漠北の匈奴の人口は、

諸説あるが、10万人から100万人。

 

後のモンゴル帝国におけるモンゴル人の人口も

100万人。

 

圧倒的な人口差。

漢人は、相手がどれだけ軍事活動に秀でていようが、

圧倒的な人口差で着実に生産活動をし、国力を充実すれば、

周辺国を制覇できるのである。

 

たくさんの食料を蓄えて、

たくさんの人間を投下して、

戦いに臨めば、最終的には物量作戦で勝利を収めることができる。

 

異民族の人口など、漢人からすればこのように、

たかが知れているのだ。

 

そもそも、人口6000万人の戸籍を把握できる、

ドキュメント能力がすごい。

 

紙ベースで、

把握するには、

書類の生産、文字の普及、習得、組織活動、文書保存、

すぐに挙げられるだけでもこれらが必要だ。

 

相当なベースの文明力がないと難しい。

 

伸び代が大きいのは、

漢人なのである。

 

しかし一旦綻びが出ると、

人数が多いだけに、大乱が起きる。

 

バラバラになると手がつけられない。

 

そこは、常に弱肉強食、離合集散を繰り返す、

漠北の異民族と違って、免疫がない。

 

このタイミングで、

漢人はこの隙を異民族に突かれるのである。

 

この繰り返しこそが、

中華の歴史である。

 

●漢人、異民族、両者の文明を押さえることができるものこそ英雄

 

 

漢人、異民族、どちらの文明も一長一短だ。

 

その長所と、短所のぶつかり合いが、

漢人、異民族の抗争の歴史である。

 

この抗争の歴史で、

覇を唱える人物が登場することがある。

 

彼らは、平たく言うと、

自分でも騎馬を操ることができ、

騎兵を指揮できる。

かつ、漢人の秩序を守る教養を理解することができる。

 

彼らは大体が英雄とされる。

一挙に当時の中華世界に覇を唱えている。

 

周文王、武王、

晋の文公、

後漢光武帝、

曹操、

石勒、

慕容恪、

楊堅、

李世民、

趙匡胤、

チンギスハーン、

フビライ、

永楽帝(母がモンゴル人と言う説もある。)、

康熙帝、

 

彼らが胡漢融合を成し遂げ、一代で覇を唱えた。

ほとんどの人物が異民族、もしくは異民族の血が入っている

人物ばかりであるのが特徴だ。

 

このタイプの人物は、

中華世界から蔑まれる立場だったので、

個々人の意欲・努力で、漢人文明を修得していた。

 

また、修得できないとしても、

石勒やチンギスハーンのように、

自身では漢字が読めなくとも、臣下の張賓や耶律楚材を

重用して補えばいいのだ。

 

 

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純粋な漢人と言い切れるのは、
光武帝と曹操だけなのではないか。

 

この特異な二人の言い訳をすると、

まず光武帝は、当時圧倒的な文明力を誇った漢文明の

中継ぎであることは認めざるを得ない。

 

創業というより、

安定と混乱を繰り返してきた漢自体の一つの集大成が

光武帝と言える。

 

漢の皇帝の中で、

最初で最後の、漢人の教養を備えた、優れた武人であったが、

対外的には文明力で凌駕したと言える。

 

●古代漢文明の集大成、曹操

 

曹操は、その視点で見ると、

古代漢文明の集大成と言える。

 

そもそも文化的に文尊武卑の漢文明において、

文武両道というのは珍しい。

 

その文明の中で、

限りなく少ない文武両道の人物が曹操である。

 

彼は騎馬を操り、

孫子に註釈をつけることができ、

戦陣で詩を吟じることのできる、人物だ。

 

後にも先にもそのような人物は中華の歴史において、

曹操だけなのだ。

 

古代漢文明は曹操において、

極まり、絶頂と言える。

 

周辺国は太刀打ちができないのだ。

 

曹操は漢地を統治し、

異民族の戦いの流儀で、

漢地と周辺国を圧倒した。

 

 

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