歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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陰陽五行説① 中華王朝、それぞれの色は何か?

結論として、

中華王朝の色は何かという定義は時代によって変わってしまうのである。

 

まずこの①では新の王莽までについて述べたい。

 

王莽より前までは

陰陽五行思説の「相克」の順である。

 

戦国時代の末期に成立した、

「呂氏春秋」において、

王朝の変遷を、五行の相克で説明をしたことにこれは始まる。

 

呂氏春秋の責任者は秦の呂不韋である。

秦の視点でまず出来上がったことはポイントである。

秦の正統性を補い、秦に有利になる内容が起源であるということだ。 

呂氏春秋 (中国古典新書)

呂氏春秋 (中国古典新書)

 

 

鄒衍が提唱した五行説に則っている。

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※ウィキペディア 五行思想から引用。

 

それぞれ五つの徳があるが、

それには象徴する色がある。

変遷には法則があるのに、混乱する部分がある。

特に漢王朝は水徳だったり、火徳だったりする。

 

それを説明したい。

 

 

●陰陽五行説の順番は二つある。

 

二つの説があり、それぞれ変遷する順序が異なる

 

・相克説

 

相克説だと、

土木金火水

相手を打ち滅ぼして行くという考え方である。

 

理論としては下記である。

木は土中に根を張り、養分を吸って土を痩せさせる。(土→木)

金属製の斧などは木を切る。(木→金)

火は金属を溶かす。(金→火)

水は火を消す。(火→水)

土は水を汚す。(水→土)

 

・相生説

 

相生説だと、

土金水木火

順送りに相手を生み出して行くという考え方である。

 

一つ一つの生成の理論は下記である。

土の中で金属が生成される。(土→金)

金属の表面に結露して水が生まれる。(金→水)

水を得て木は育つ。(水→木)

木は燃えて火を生む。(木→火)

火が燃え尽き灰が残り、土に返る。(火→土)

 

・相克⇄相生が変わる時


二つの循環方法がある。

このどちらを取るか。

これが歴史的に変わる時期がある。

それは王莽の時代と、明の時代、清の時代、

この三つの時期に変わる。

 

呂氏春秋から王莽の前までは相克、

王莽から、元までは相生、

明清は相克で、

清から民国以降は相生である。


なお、

各五徳には色があり、それぞれ

水=黒

金=白

土=黄

火=赤

木=青

である。

 

現代の認識とイメージが異なる色の組み合わせなので

ややこしい。

 

例えば、

西晋王朝は金徳である。

シンボルカラーは、白である。

そのため、皇帝を象徴する「白虎幡」というものを使った。

詳細は下記に詳しい。

http://sinyousyuden.blogspot.jp/p/blog-page_12.html

 

●前漢は、時代の変化により水徳、土徳、火徳の三つを称する。

 

劉邦の時代は水徳。

前漢武帝の時代は土徳。

前漢末期、王莽の登場で、火徳、

となる。

 

これでややこしくなる。

それぞれ背景を説明する。

 

劉邦は、前王朝の秦を否定する。

偽物の王朝をとする。

秦は相克説に則り、周を受けて、

水徳となった。

 

水徳の色は黒である。

秦の軍隊は黒ずくめであるが、

あれは陰陽五行説に則っているのである。

 

相克だと、

土木金火水

の順番となり、

周王朝は火徳だった。なので、秦は水徳となる。

 

黄帝=土徳

夏=木徳

殷=金徳

周=火徳

秦=水徳

である。

この秦の水徳を認めず、

漢=水徳とする。

 

秦は周王朝を受け継いでいないと言うのが

漢王朝の立場である。

 

秦ではなく、周王朝を継ぐのが漢王朝。

なので、周の火徳から漢の水徳となる。色は黒である。

ここで呂氏春秋の解釈から変更となる。

 

●前漢武帝の改変:

 

しかし、

前漢武帝の時にこの考え方が変わった。

武帝は自身を

万物の創造主、黄帝に自身をなぞらえた。

そもそも史記における黄帝の事績は、武帝の事績を引用したものである。

司馬遷がぶていの事績を黄帝に引用して、

黄帝=武帝として権威化を図った。

 

 

今までは、黄帝が土徳だったのだが、

前漢の武帝こそが土徳だと言い始めた。

前漢というより、前漢の武帝が土徳だということである。

これは武帝が匈奴を征伐し、中華世界の長となったことによる。

前漢の武帝は中華帝国の祖としての権威付けを行った一環として、

陰陽五行説の解釈も変えてきたのである。

 

全ての始まりが、前漢武帝である。

だから土徳=黄帝だということである。色は黄色である。


●王莽の登場 二つの理屈を変える。

 

さて、これが再度変わるのが王莽の時代である。

 

王莽は二つの理屈を変えた。

 

・五行変遷の順序を変える

 

まず一つ目が徳の変遷の順序を変えた。

 

王莽は、前漢から禅譲という形で、

皇帝に即位するが、

そこに至るまでのストーリーが必要であった。

 

禅譲のために王莽は

様々な制度を整えるが、

その一つに陰陽五行説がある。

 

王莽は、

斉の王家、田氏の末裔である。

田氏は、舜の末裔である。

その舜は尭から禅譲を受けたとされる。

これを利用して、王莽への禅譲を正統化しようとした。

 

そこで問題なのが、

陰陽五行説というのは、前の王朝を打ち克つことで、

次が立つという理屈であることだ。

 

尭舜伝説からすると、

それはおかしい。

相克ではまずいのだ。

なぜなら禅譲だからである。

禅譲は、譲ることである。誰かが誰かを打ち倒すことではない。

世を譲るのに、打ち克つでは、打倒していることになる。

禅譲のストーリーにそぐわないのである。

 

そこで、王莽のブレーン劉歆(りゅうきん。戦国策を編纂した劉向の子)が

相生説という説を作った。

 

前の徳が衰えて、次の徳が生きるという考え方である。

「土は金を、金は水を、水は木を、木は火を、火は土をそれぞれ生む」という考え方である。

 


・漢の徳を、火徳に切り替える。

 

王莽が変えた二つ目は、

漢王朝の徳を、水徳でも土徳でもなく、

火徳にした。

 

劉邦は尭の子孫というスト―リーにしている。

実は劉氏というのは、晋の士会の末裔から出ている。

士会は尭の子孫とされているので、

この由来を元に劉邦は尭の子孫とされている。

 

王莽は舜の子孫なので舜と言える。

堯は舜に禅譲したので、この話は王莽にとって

大変好都合な話である。

 

劉邦が作った前漢を堯として、

それを受け継ぐ王莽=舜というストーリーを創る。

王莽はこれも一つの自分の正当性主張に使う。

 

このストーリーは、

禅譲には打ってつけの構図である。

 

さらにここで、前漢武帝の考え方が入ってくる。

黄帝の土徳が最上である。


全ての始祖という考え方なので、

王莽もこれに乗っかった。

王莽も土徳とする。

相生だと、

土金水木火

という順番なので、

土徳の前は火徳となる。

なので、尭=劉邦=前漢を

火徳に切り替えた。

つまり、
黄帝=土徳

夏=金徳

商(殷)=水徳

周=木徳

漢=火徳

王莽=土徳

である。

こうして王莽は土徳となった。

色は黄色である。

 

www.rekishinoshinzui.com

 

●参考図書:

王莽―改革者の孤独 (あじあブックス)

王莽―改革者の孤独 (あじあブックス)

 
王莽―儒家の理想に憑かれた男 (白帝社アジア史選書)

王莽―儒家の理想に憑かれた男 (白帝社アジア史選書)