歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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【黄河渡河地点が「中華」】五胡十六国時代における「中華」とは②

 前回の記事で、「中華」という概念が、

中国史上、変遷するものである、と記した。

 

●五胡十六国時代における「中華」とは①

 

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「中華」はどこなのか、という定義は「思想」である。

では五胡十六国時代における「中華」とはどこなのか。 

これについて記したい。

 

 

なお、類似した表現で「中原」という言葉がある。

これは文字通り、中心の平原で、商王朝が本拠とした

黄河渡河地点エリアのことである。

しかし、「中華」の定義が思想的に変遷するにつれて、

「中原」という言葉は使われなくなっていった。

「中原」という言葉は、地理的条件を想起させるからだと

私は考える。

「中原」という言葉は、後漢末から三国時代に使われるのが、

最後ではないか。

 

●長安は中華と言えるか。

 

長安は中華とは言えない。

 

長安を含めた関中に

プラスして、黄河渡河地点が必要である。

 

なお、黄河渡河地点は、大雑把に言うと、

いまの開封周辺である。

 

これが成り立つ理由は

二つある。

 

・長安+黄河渡河地点=中華の理由①

 

最も大きな理由は、

秦が自身を中華と主張したからである。

 

戦国時代、秦は自身の領域、

つまり関中を含めたエリアを中華と定義した

思想主張を展開した。

 

そのために長安(秦の場合はその都・咸陽)を中心とした

関中を含め、洛陽および黄河渡河地点(開封・鄭州など含めた黄河南北岸地域)を

中華とした。

 

・長安+黄河渡河地点=中華の理由②

 

もう一つの理由は、

中華という名前の由来となった、

華山が関中にあるからである。

 

華山は黄河がほぼ直角に折れ曲がる地点の

西にある。

 

元々、

中華は「中夏」であった。

 

それは夏王朝に由来するものであった。

それが、秦が中華を主張し、

秦が史上初めて「中華」を統一してから、

この華山を由来として、

中華と名前が変わる。

 

少しややこしいが、

「中華」となれば、すなわち

秦の主張した「中華」でいいわけだ。

 

しかし、

さらにややこしいことの一つを

述べる。

 

秦は初めて中華を統一し、

初めて皇帝と名乗った王朝だ。

しかし、この秦を滅ぼした漢王朝は、

秦という王朝の存在を認めていないのである。

偽の王朝だと言うのだ。

 

そのため、

陰陽五行の順序も抜かされるようになる。

 

●陰陽五行

 

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秦の全ては漢王朝によって否定されるが、

その実態は漢王朝は秦が創り出した国家概念を

ほぼ受け継いでいる。

 

漢王朝は皇帝を名乗っていることからもわかるように、

秦王朝の制度や思想を継いでいる。

このようにして建前と実態がずれるので、

ややこしいことになる。

 

秦の主張した「中華」が中華で良いはずなのに、

それは否定するというロジックが生まれる。

 

こうして、「中華」は中国史上晴れて、

思想となった。



●洛陽は中華と言えるか。

 

長安と並ぶ漢民族文明発祥の地洛陽。

 

これも実は「中華」と言えない。

 

洛陽に、

黄河渡河地点(今の鄭州・開封を含むエリアを中心とした黄河南北岸地域)をプラスしたら

中華と呼べる。

 

洛陽とは、元々

西周王朝の、中原、すなわち中華(中夏)の

支配拠点であった。

 

西周の本拠は関中である。

 

本拠を関中に置きながら、

中華を支配するための、いわば派出所が

洛陽、当時の名前は洛邑であった。

 

後に、西周王朝は滅びる。

本拠の鎬京および関中平野を失ったからだ。

 

中原支配の洛邑は、

事実上の副都であったので、

ここを本拠として周王朝を復興させた。

これが東周である。

 

このような経緯である。

 

洛陽は長安から東に行くと、

最初の開けた盆地にある。

 

洛陽は盆地なのだ。

その後さらに東に行くと、

もう一度狭まった場所を超えて、

ようやく黄河渡河地点に辿り着く。

 

この黄河渡河地点を支配するのに、

この洛陽盆地が活用されたのである。

 

洛陽は西周にとっては、中原(中華といってもいい)を抑える

拠点で、経済拠点の一つだった。

一方、

西周の本拠関中は軍馬の調達が円滑な軍事拠点であり、

この強い軍事力を背景に、洛陽を拠点として、

経済の中心地、中原・中華を支配したのである。

 

ということで、

結局、

長安も洛陽も単独だけでは、

「中華」を支配したという概念を手に入れられないのである。

 

●江南は中華と言えるか。

 

江南は、

五胡十六国時代では、

東晋が本拠地を置いた。

 

これは全く言えない。

元来の江南出身の勢力はそもそも、

中華圏の勢力ではない。

異民族であった。

 

例えば、呉王夫差や越王勾践が

中原の会盟に参加するが、

実は彼らは後世の中華歴史観からすると、

全くお呼びでないのである。

 

しかし、

周王朝というのは、

周王朝の血筋を継ぐという概念の集合体なので、

呉はそれを受け入れたので会盟に参加できた。

呉王夫差が参加した前482年の黄池会盟のことである。

周の文王の父季歴の兄太伯、虞仲の子孫が

呉王であるという伝説が

ここで生まれる。

 

 

この後、

越王は周王朝の権威を無視して参加したが、

異民族の参加は何の意味もなさなかった。

 

●江南は元々は異民族エリアだった。

 

 

これが何を意味するのか。

 

東晋が支配するエリアは、

江南を本拠としているが、

ここは異民族エリアなのである。

 

東晋が元々中華統一王朝であったとしても、

現実的に領有するエリアは、

異民族の地である。

 

現代の感覚で言えば、

中華が自分の国であるとすれば、

江南は「外国」である。

 

東晋は江南にある時点で、

自身の正統性に非常に大きな疑義を持っていたのである。

 

しかし、元々中華正統王朝であった西晋に由来を持つ

東晋が江南を本拠にしたからこそ、

ここ江南は中華圏に組み込まれることになったのである。





●鄴は中華と言えるか。

 

鄴は、

実は言えるのである。

 

私はこの概念が五胡十六国時代には非常に

重要なことだと考えている。

 

鄴の南に朝歌という都市がある。

衛の都であり、

商王朝の最後の都である。

 

この朝歌を始めとして、

商王朝の都とされた都市は7つあるが、

それは全てこの朝歌の南にある

黄河渡河エリアを中心として散らばっている。

 

これは何を示すか。

 

つまり、

商王朝というのは、

この黄河渡河地点を牛耳り、

南北の交易を管理することで力を持ったのである。

 

貿易である。

 

のちに、南船北馬ともいうが、

南の船と、北の馬が落ち合う中間地点が、

この場所なのである。

この黄河渡河地点、渡河エリアこそが、

中華なのである。

 

しかし、交易の中心だからこそ、

山深い場所ではないし、

河が複雑にある場所でもない。

 

守りやすい盆地でもない。

 

ただの平野である。

春秋戦国時代の衛を思い出してもらうとわかる。

各国の中で最も先進地域だったにもかかわらず、

だからこそ他国からの侵入を受けた。

衛は財力、文明力があるが、守る地形がないのである。

 

だからこそ、衛よりも後世にできた勢力は、

ここ衛を支配するために、

別の場所に然るべき軍事拠点が必要だったのである。

 

それが、

長安であり、洛陽であった。

 

●曹操が作った鄴は後に中華支配の人工的拠点となる。

 

では鄴はどうか。

 

鄴が中華支配のための軍事拠点になれたのは、

并州と幽州の開発、それと、

鄴にある人工防御施設にあると私は考える。

 

人工防御施設は、

曹操により築かれた鄴城三台のことである。

真ん中のものを銅雀台という。

 

三国志の世界だと、

銅雀台は曹操の権威の象徴のように描かれる。

 

しかし、その後八王の乱、

その後石勒華北制覇の中でも登場する。

それは、鄴城三台の防御力の強さからであった。

 

例えば、石勒が葛陂で行き詰まった時、

張賓が華北へ帰るように進言するが、

その際に鄴城三台の防御力の強さを引き合いに出している。

 

元々、

曹操の河北支配の拠点として築かれた鄴だが、

鄴が発展すると、鄴をも含めて、

中華の中心地となるのである。

 

鄴を統治し、

黄河渡河地点を牛耳れば、

すなわちこれこそが中華統一王朝を主張できるのである。

 

これが「中華」、イコール中原と言われるものである。

 

だからこそ、桓温は

当時「中華」を支配する前燕攻略を

人生の集大成として目標として、

第三次北伐を実行するのである。

 

●鄴について:

 

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●参考図書:

 

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