隋唐の異民族、中華皇帝としてのメンツをかけた
高句麗遠征。
これを成し遂げるまでの半世紀の間に、
幽州は中華の重要拠点としての大きく成長した。
幽州が重要拠点として稼働するのに
大きく役立ったのが大運河である。
唐高宗・則天武后の代で唐は中華帝国としての体裁を完成させる。
そして、玄宗の時代に唐は最盛期を迎える。
全盛期の唐を奈落の底に落とすのが、
幽州を本拠とする安禄山である。
●唐の最盛期は玄宗時代
唐の漢化は、
玄宗の時代にその集大成を
迎える。
唐王朝は則天武后により一旦は王朝が終焉した。
終焉したとは中華の歴史観であり、
これは異民族の歴史観からすれば特段おかしな話でもない。
匈奴では閼氏と呼ばれる匈奴単于の正妻が
夫の権限を代行するのは当然だった。
匈奴から鮮卑と漠北の習慣を継ぐものたちが、
この習慣を覚えていてもおかしくはない。
則天武后は適切は皇帝は誰かを思案し、
最終的には李氏に戻す。
後に男女の力が拮抗するも、
玄宗が女性の政治介入を排除。
女性を排除するという考え方自体が中華的でもある。
玄宗により、唐の漢化が完成する。
●唐玄宗の虚無感とディオニュソス的発想
完成というのは難しい。
完成するというのは、
すなわちこれ以上やることがなくなったとも言える。
行きつくところまで行くと達成感とともに虚無感に襲われる部分がある。
これは玄宗の心理状態だと私は考えている。
良く言われるように、
玄宗は統治の前半は意欲があったが、
後半は意欲がなくなった。
前半は則天武后が育てた吏僚に支えられたという部分も大きい。
しかし、皇帝が政務に邁進しなくてはならない理由もないのだ。
玄宗は特にその疑義もコンプレックスも最早ない。
自分自身で勝ち取った天下であった。
西晋司馬炎の晩年のごとく、ディオニュソス的に玄宗は生きる。
その象徴が楊貴妃である。
玄宗は道教を信奉する。
自身が徳を持ちさえすれば特に何かをしなくても、
無為自然として世は成り立つのだ。
これが、
中華の本当の高位層の考え方である。
●安禄山という災厄は幽州で生まれる。
さて、それが成り立たなくなったのは、
安禄山のせいである。
安禄山は玄宗の寵臣であった。
安禄山はソグド人と言われ、范陽節度使であった。
范陽、つまり幽州である。
ここは大運河の終着駅である。
周囲のエリアからすれば、
幽州に物資を集めてどこぞに輸送するターミナル駅である。
そして旧高句麗方面へも支配し、
高い軍事力を誇る。
辺境部としては最重要拠点となっていた。
だからこそ玄宗は安禄山にここを任せたのだが、
しかし裏切られた。
漢化した元異民族の玄宗が、
石勒も輩出したソグド人の一人安禄山という異民族に襲われる。
唐の漢化が完成したからこそ、
今度は、「新」漢民族と異民族の新たな戦いが始まる。
●安禄山の幽州が、大唐帝国を席巻した。
安史の乱である。
幽州を本拠とした安禄山の反乱は猛威を振るう。
玄宗は帝都長安から逃亡。
退位させられ上皇となった玄宗は失意のまま後に崩御する。
一方、全盛期の唐を一挙に失墜させた
安禄山の手腕もさることながら、
幽州というエリアのポテンシャルを世に知らしめた。
幽州の戦力は大唐を大混乱させるほどの力にまで成長したのである。
唐は安史の乱を境に、
前期は皇帝専制、
後期は皇帝には力がなく、皇帝という建前を担ぎ上げながら、
各地で軍閥が好き放題振る舞う。
唐は国家としての体裁は保ちながらも、
事実上軍閥を内包する国家となる。
●参考図書: