歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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苻堅の大失敗、淝水の戦いー大敗の理由。

華北を統一し、石勒を越える領土を獲得した苻堅。

 

後は東晋のみ。

桓温亡き東晋には、苻堅の勢いに抗しえることは不可能に見えた。

 

しかし苻堅は大負けした。

 

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(上記引用元:中国史〈2〉―三国~唐 (世界歴史大系) 山川出版社)

何故なのか。

 

●寿春-合肥ルート単独は鬼門。

 

そもそも、苻堅が取ったルートは必敗のルートであった。

 

華北の勢力がここ寿春および合肥、

長江を突破したケースというのは苻堅当時では、

事例がないのである。

 

このルートだけで江南へ侵入できたのは、

淝水の戦い以後でも、

侯景のみである。

侯景は、梁の武帝を欺いての侵入であったので、

これは例外として見てよいだろう。

 

後に楊堅が陳を攻略するときにはこのルートも使うが、

それは多数のルートを使ううちの一つに過ぎなかった。

当然江南攻略のセオリー、長江上流から船で下るという

必勝のルートもあった。これは西晋司馬炎と同じである。

寿春―合肥ルートのみの攻略にはカウントできない。

 

寿春―合肥ルートと書くのが簡潔であるが、

より具体的には、

潁水―寿春ー芍陂―淝水―合肥―巣湖―長江ルートのことである。

  

曹操、司馬懿、石勒、慕容恪は、

長江の上流である蜀や荊州を持っていなかったので、

この上記ルートのみを使って戦ったが成功しなかった。

 

西晋司馬炎、隋楊堅は、蜀・荊州を持っていたので、

長江上流ルートを使ったので、成功した。

 

 ●蜀だけではダメ

 

一方で、淝水の戦い前夜、

苻堅はどうだったか。

 

蜀は持っていた。

が、荊州は持っていなかった。

 

蜀だけでは、建康のある江南は攻められない。

 

蜀から長江を下ると当然荊州がある。

荊州は東晋が治めているので、

前秦苻堅はここを攻略しなければならない。

 

大きな障害となる。

 

ではまずは蜀から荊州を攻め取るかというと、

しかし蜀から荊州を攻めるのは少し問題がある。

蜀と荊州は標高差が大きく、

蜀から荊州に水軍で降りると、

戻るのが困難になる。

 

このケースが

蜀漢劉備の起こした夷陵の戦いのケースであった。

劉備の敗因は色々と言われているが、

この撤退のしにくさは大きかった。

 

後に諸葛亮の死後、

蒋琬が漢中から漢水沿いに襄陽を攻めるという

計画も持ち上がるが、

やはり撤退のしにくさで取りやめとなっている。

 

漢中と襄陽も標高差が大きい。

蒋琬は攻めたかったが、費禕は反対。

劉禅が仲裁して、取りやめになった。

 

蜀だけでは不十分なのである。

蜀を獲得しても、荊州に対して有利に立てるわけではない。

 

苻堅は蜀を確保しながら、襄陽方面から攻撃して、

本来、じっくりと荊州を攻めるべきであった。

 

それは、

荊州と蜀の両方が、江南攻略の必要十分条件であったからである。

上記のように、司馬炎と楊堅は、

蜀と荊州を確保して、長江中流から上流域を完全確保、

そして大量の水軍を作って、

船に軍兵を乗せて一気に長江を下る。

 

これが江南の必勝パターンだったからである。

 

逆に江南の東晋から見ると、

蜀と荊州を押さえると、江南は盤石となる。

 

 

荊州は絶対確保、そして蜀はできれば確保。

江南に本拠を置く東晋としては、これが防衛ラインとなる。

 

だからこそ、

桓温の蜀攻略は

非常に戦略的意義の高い功績であった。

東晋は蜀を攻略して、国防上の安定を手に入れたのである。

 

まとめると、

蜀と荊州を押さえると、江南が取れる。

蜀+荊州=江南

という公式が成立する。

 

 ●苻堅は蜀は取れたが荊州は取れなかった。

 

 

苻堅は、

蜀は取れた。桓温の死後のどさくさでまんまとせしめた。

この絶好のチャンスにきちんと動けた苻堅は、

しっかりとした情報網を持っていた証拠である。

 

しかし荊州は取れなかった。

ここで少し荊州の地理関係について言及したい。

 

●襄陽は荊州から中原へ出るための最前線。

 

378年に苻堅は東晋の荊州を攻撃したが、

襄陽までしか攻略できなかったのである。

 

襄陽は荊州だが、まだ荊州の入口だ。

長江に到達しなければ意味がない。

 

長江に到達して、

この大河を活用するために必要な都市は、

江陵と武昌である。

 

●武昌は地政学的に荊州のへそ。

 

武昌は、襄陽から漢水沿いに下ると、長江と合流する。

この合流する地点にある都市が、

武昌である。

 

襄陽を取っても、武昌がなければ長江は使えない。

なおこの武昌は三国志においては、夏口という名前で出てくる。

劉表の長男、劉琦が治めていた都市で、劉備が後に逃げ込む先である。

 

武昌は古より戦略的要衝であった。

 

●江陵は楚の都。

 

ここ武昌から今度は西に長江を遡ると、

江陵に辿り着く。

 

ここは春秋時代の楚の都、郢である。

現在では荊州市と呼ばれる場所である。

荊州という名前は、秦が楚を攻略したのち、

子楚という名前の王が即位した(秦の始皇帝の父王。子楚という)

ことで、改名された名前である。

 

 

楚はここ江陵を中心に楚を治めていた。

 

そして、東晋の時代では、

華北の軍事力の強い王朝からみて、

江陵が荊州において最も奥地にある大都市なので、

ここに荊州の本拠を置くに至る。

 

 

苻堅は378年に荊州を大挙して攻めたが、

襄陽攻略のみで終わった。

 

苻堅は本当は荊州南部を取りたかったができなかった。

 

苻堅は江南を攻略するには

荊州を押さえるべきということはわかっていたのだろう。

 

しかし、このルートの攻略は遅々として進まないと判断した。

それよりも一挙に寿春を落として、

長江を渡ろうと考えた。

 

今までの英傑ができなかったことを、苻堅はできると考えた。

歴史にならわなかったのだ。

 

苻堅は、焦れた、我慢が出来なかったのだ。

 

その後、東進で、

寿春に至る。

そして淝水の戦いとなり大敗する。

 

●江南勢力の必勝パターンに持ち込んだのは桓沖。

 

もう一度まとめると、

寿春・合肥ルート(つまり淝水を使う)のみで

江南を攻略した歴史的事例はない。

荊州と蜀を押さえて、江南を攻めるのがセオリー。

 

これは中華の歴史を知っていた者であるのなら、

知っていたはずの事実だ。

 

それ以外の手法、

最短ルートの、

寿春ー合肥ルートを使って江南を攻めると、必ず負けてきたのである。

 

となれば、

苻堅を寿春・合肥ルート単独で攻め込ませた、

つまりある意味、必勝パターンにはめた人物こそが、

実は、淝水の戦いの本当の立役者である。

 

江陵にあって、荊州を督戦し、

苻堅に手強しと思わせたのは、

桓沖である。

 

江南を攻略するにはまずは荊州である。

 

既に蜀を押さえていた苻堅は、

桓沖が守る荊州を取れば、中華統一の王手なのである。

 

これを押しとどめたのが桓沖である。

 

桓沖が荊州を堅守し。

苻堅を江南ルートの寿春に進ませたこの功績は大きい。

 

建康に至る最短ルートではあるが、

最も守りやすいこのルートに行かせれば、

きちんと守れば、東晋は勝てるのである。

 

時の最高権力者謝安が適切に東晋をまとめて、

裏切り者を出さなければ、勝てる。

 

この勝てる勝負に持ち込むことを戦略という。

 

勝てる勝負に持ち込めるのが優秀な司令官である。

 

桓沖は謝安に精鋭の援兵を送ったが、

謝安は断っている。

このように、謝安と桓沖は上下関係ではなく、

同僚関係に近かった。

 

桓沖はある種の軍閥であり、

それぞれ別個に動いていた。

 

なので、

前秦苻堅に荊州の攻略をさせないまま、

寿春に進ませたのは桓沖の功績である。

 

苻堅は歴史的セオリーから逸脱することなく、

寿春は淝水で大敗したのである。

 

淝水の戦いで前秦が直接的に敗北した原因は、

もともと襄陽を守っていた朱序という武将が

裏切ったからである。

 

謝安が工作をして裏切らせたという事実ぐらいあって欲しいが、

襄陽は荊州であり、桓沖の管轄下である。

 

大した軍事的実績がない謝安がまめに調略を行ったと見るよりも、

桓温の北伐に常に付き従っていた桓沖が

裏切らせたと考える方が妥当である。

 

●参考記事:

 

www.rekishinoshinzui.com

 

www.rekishinoshinzui.com

www.rekishinoshinzui.com

 

 ●参考図書:

 

中国歴史地図集 (1955年) (現代国民基本知識叢書〈第3輯〉)

中国歴史地図集 (1955年) (現代国民基本知識叢書〈第3輯〉)

 

 

 

世界史年表・地図(2018年版)

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中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)

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魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

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