歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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前秦だけではなく鮮卑慕容部も後燕と西燕に分裂した。

 

●慕容垂と慕容泓の自立。

 

慕容垂は384年1月に滎陽で自立。

燕王を称し、元号を燕元とする。

後燕の事実上の建国である。

326年生まれの慕容垂は、時に58歳。念願の独立である。

 

対して、

慕容泓が384年4月、

関中で自立、元号を燕興とする。

これが事実上の西燕の独立である。

 

鮮卑慕容部が分裂したのである。

これは鮮卑慕容部お家芸の内輪揉めである。

 

これについてここで述べたい。

 

●鮮卑慕容部が後燕、西燕に分裂したと言い切る理由

 

これら後燕、西燕は連動するものはない。

 

理由が二つある。

 

①元号

 

まず元号というのは、

時を刻む、決める権利があるのは、

天子のみである。

天子=皇帝ということもあれば、天子=天王ということもあるが、

いずれにせよ、天子のことを指す。

 

それぞれ元号が異なるというのは、別の王朝を主張していることであり、

この同族の両国は完全に分断されたのである。

 

②慕容垂「燕国の王」の意味

 

慕容垂が燕王を称している。

一方で、

慕容泓は称していない。

慕容泓は兄で元前燕皇帝慕容暐が存命であることを

憚っており、兄を皇帝として扱っていた。

そのため、王にもならなかった。

称号の問題であるが、燕の君主は一人であり、

それは皇帝でも王でも燕の君主は一人だからである。

 

それを慕容垂は、

燕王を称し、慕容暐の立場を無視したのである。

 

 

●鮮卑慕容部が後燕と西燕に分裂した背景。

 

 

 

●異民族の流儀、弱肉強食を地で行く慕容垂

 

後燕と西燕がある。

 

「後」も「西」もこれは後世の歴史家がつけた名称で

当時は両方とも燕である。

 

後燕は、慕容垂が立てた国のことである。

 

早々に苻堅の勢力を排除。

河北を確保し独立する慕容垂。

 

この点はさすがである。

 

●慕容垂に河北帰還を妨げられた慕容儁の子供たち

 

一方で、

西燕。

 

これは、慕容垂から見ると、甥の系統である。

兄の前燕皇帝慕容儁(ぼようしゅん)の子である。

 

前燕が滅びたが、

命は救われ苻堅の本拠地長安にいた。

 

前燕最後の皇帝慕容暐(ぼようい)も長安にいたが、

そこから脱出するのは流石に至難の技であったので、

弟たちが抜け出したのだ。

 

彼らは初めは河北の慕容垂のもとへ奔った。

 

しかしその後すぐに、

長安へ戻る。

 

それはなぜか。

 

慕容垂が自分がトップであることを譲らなかったからである。

 

最後の前燕皇帝慕容暐がいるので、

皇帝にはならなかったが、事実上の皇帝は慕容垂であった。

 

しかし、前燕復興のためとして、

慕容垂は兵を集めている。

 

復興となれば、

普通に考えて、

最後の皇帝慕容暐が存命なのだから、

彼の復位が妥当であろう。

 

しかし、

慕容垂はそのようなことは毛頭考えていなかった。

 

そもそも、前秦苻堅のもとで、

鮮卑慕容部のトップは慕容垂であることは間違いなかった。

 

流石に前皇帝の慕容暐を苻堅は出兵させることはしなかった。

 

前秦において、前燕が滅びてから13年、

鮮卑慕容部を率いてきた慕容垂が今更、

兄皇帝の直系だからと言って尊重するほど、

慕容垂は漢化されていなかった。

 

彼慕容垂は異民族の流儀、弱肉強食を地で行くタイプである。

 

●慕容垂は慕容暐・慕容泓の父で兄の慕容儁と不仲。

 

また、

慕容垂は兄の前燕皇帝慕容儁と不仲であった。

 

 ●鮮卑慕容部は常に内部で揉める。

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兄弟不仲であるのは

鮮卑慕容部のお家芸である。

 

特にこの二人、慕容儁と慕容垂は仲が悪い。

 

●慕容儁の慕容垂いじめ①名前

 

慕容垂が落馬をして、慕容儁はそれをもの笑いにし、

改名するように命令した。

 

慕容覇から、慕容𡙇(ぼようけつ。𡙇は欠と同じ字)にである。

のちにさらに欠の意味を除くために、慕容垂と改名するのだが、

この兄弟仲の悪さは相当である。

 

理由は、父慕容皝(ぼようこう)が溺愛したからであった。

 

慕容儁の母は当時北辺の有力部族、鮮卑段部の出身で、

出自は申し分がなかった。

 

一方、

慕容垂の母は匈奴の出身。

当時は有力とは言えなかった。

 

しかし、

鮮卑慕容部は異民族の事例に漏れず、

長男だから後継者となれるわけではない。

 

特に、慕容皝は偉丈夫を愛していた。

武人としての才を持つものを、

異民族の長として好んでいた。

 

そのわかりやすい事例が、

慕容儁の弟で、慕容垂の兄、慕容恪である。

 

慕容恪の母は、漢人の高氏であった。

 

捕虜として囚われた高氏を戯れで交わった末の子が、

慕容恪であり、慕容皝は関心を全く持たなかった。

 

慕容皝は母の高氏とはこういった経緯もあり、

互いに不仲であり、慕容恪に会おうともしなかった。

 

しかし、

ふとしたタイミングで、

慕容恪が15歳になったときに、慕容皝は対面する。

 

(明確ではないが。

多分兄慕容儁が自分を立ててくれる弟慕容恪を引き合わせたのではないか。)

 

慕容恪の惚れ惚れする偉丈夫振りを見て、

慕容皝は慕容恪を深く愛するようになる。

 

慕容皝はこのようにわかりやすい好みをしていた。

 

慕容垂は、多分にこの好みにマッチしていた。

 

しかし、慕容儁はそうではなかった。

 

弟に足をすくわれるかもしれないと思えば、

慕容儁が慕容垂をいじめるのは当然である。

 

●慕容儁の慕容垂いじめ②妻を殺す

 

足をすくわれたら、

弱肉強食の異民族の世界では、

すなわち死を意味するからだ。

 

これはエスカレートし、

358年には、

慕容儁の皇后が、慕容垂の正妻に冤罪を着せ、

拷問の末、事実上殺したりもしている。

 

理由は、

慕容垂の正妻は、慕容儁の皇后と同じく、

段部であったのだが、

慕容垂の正妻の方が家柄が良かったからだ。

 

慕容垂の正妻の段氏は、

あの鮮卑段部の頭領であった段末波の娘である。

 

慕容儁の皇后はこれに嫉妬し、

殺したのであった。

 

慕容垂は殺された正妻の妹と再婚するも、

それさえも離縁させられる。

 

最終的には慕容儁の皇后の妹と無理やり娶ることを強制される。

 

逆に言えば、

慕容垂が鮮卑段部のお姫様を妻に迎えていたということを、

慕容皝は認めていたということになる。

 

慕容皝に慕容垂は相当に可愛がられていた。

だから慕容儁は慕容垂を嫌がったのである。

 

 

●慕容恪が死んだ瞬間、鮮卑慕容部はもう分裂していた。

 

 

ということで、

慕容垂と慕容儁の間には深い亀裂がある。

 

慕容恪が存命の間は、

両者の間を取り持った。

 

しかし慕容恪が死去すると、

慕容垂と、当時既に亡くなっていた慕容儁の子の間もうまくいかなくなる。

 

これが、

後に慕容垂の亡命、つまり前燕滅亡の

原因の一つになる。

 

だから、

慕容垂が鮮卑慕容部の燕を復興させようという時に、

不仲の兄慕容儁の血統と

仲良く手を取り合うことなどなかったのだ。

 

●慕容垂の系統が後燕、慕容儁の系統が西燕

 

晴れて慕容垂は燕を復興。

史上、後燕と呼ばれるが、これは前燕と同じ、「燕」である。

 

父慕容皝の皇后は当然、兄慕容儁の母の段氏であったが、

これを廃す。

慕容垂は自身の母を皇后にした。

 

これほどに、慕容垂と慕容儁はこじれていた。

 

こうして、

慕容垂から排除された、

亡き慕容儁の系統が、

西燕である。

 

一度は、慕容垂のもとに馳せ参じた、

慕容儁の子で、慕容暐の弟、慕容泓(ぼようおう)は

どれほどに世間知らずで甘ちゃんだったのか。

 

流石に殺すまではためらいがあった慕容垂のもとを

早々に立ち去り、

自立する。

 

それが西燕となる。

 

戦上手だが、徹底的に身内に叩かれた慕容垂が

ようやく独立できたとも言えるし、

高い軍事力を常に誇っていた鮮卑慕容部は、

二分してしまったことで、華北の覇者となる機会を失ったとも言える。

 

 

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 ●参考図書;

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

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魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

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中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)

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魏晋南北朝通史〈内編〉 (東洋文庫)

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