歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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二代姚襄②苻堅に最後は敗死~羌族の仲良し姚氏~

①より続く。

 

姚襄は東晋に帰属したものの、

東晋陣営との折り合いが悪く、結局自立をする。

 

●姚襄、東晋から離反して前燕に付属。

 

一方の姚襄は、盱眙を確保したとはいえ、孤立無援の状況。

東晋とは当然手切れとなったため、

同354年前燕に帰順する。

 

前燕は当時皇帝慕容儁のもと、輔弼の名将慕容恪が率いる軍勢が遼東から

一気に河北へと勢力を伸長させていた。

 

山東はまだ段部の残党が割拠していたが、河北の大部分は前燕の手に落ちていた。

 

 とはいえそれでも、姚襄のいる盱眙(くい)と前燕の領域は遠い。

姚襄の羌族集団は依然として事実上の独立勢力であった。

そして、周囲を東晋領域に囲まれ孤立している状況であった。

 

姚襄は四面楚歌の状況なのに、これを叩けない東晋。

これほどまでに軍事力の差があったのかと思うと驚く。

 

東晋が弱すぎるのか、姚襄たちが強すぎるのか。

 

とはいえ、

孤立している状況では厳しいので、配下からの要望もあり

姚襄は北上する。355年のことである。

 

●姚襄、洛陽にて東晋の桓温と遭遇。

 

まずは、許昌を占拠。

ここから洛陽への進出を図る。

 

そこから西へのルートを確保して、関中方面への帰還を考えていたと思われる。

 

 

ここで桓温の第二次北伐に遭遇することになる。

 

旧後趙の旧将が守っていた洛陽。

 

その洛陽を姚襄の羌族集団が攻撃を仕掛ける。

 

そこに荊州から軍勢を率いてやってきた桓温が南方から出現する。

 

●姚襄は桓温の第二次北伐と激突

 

356年に姚襄と桓温は洛陽の南にある伊水を挟んで激突。

 

桓温にとっては、

354年長安を包囲するも兵糧切れで撤退することになった第一次北伐に

続いての二回目の北伐。

 

姚襄としては、

離反した東晋の将桓温ではあるが、

多分に直接の接点はなかったであろう。

 

しかし、桓温が成漢討伐を成功させ、

前秦を相手に帝都長安まで攻め込むまで

至った桓温の武名は知っていたはずである。

 

姚襄は洛陽を陥落させることができないまま、

南方から迫った桓温を迎撃することになり、非常に不利な体勢にあった。

 

 

●姚襄の撤退。

 

桓温としても姚襄としても引くことのできない戦い。

 

必然的に激戦となる。

桓温軍4万。

姚襄は5万戸を率いていた。

1割が軍兵として5千。

しかし、この5千はほぼ騎兵であった。

 

民を守りながら戦う姚襄。

5千の騎兵で機動力を活かして戦えば本来は勝てるはずだが、

退却先がない、いわば死兵の状態。

 

桓温は激戦を制し、姚襄は撤退。

洛陽の北、五芒山に逃れ、敵を捲き、

幷州の平陽に逃げ込む。

 

桓温はあまりの激戦で、姚襄を追撃するほどの余力が残っていなかった。

 

 

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356年時点の幷州は、今は亡き後趙の旧将張平が治める地。

そこに姚襄は逃げ込み、

張平と義兄弟の契りを結ぶことで、

平陽を間借りすることとなった。

 

 

●357年三原の戦い 姚襄は皇帝になる前の苻堅と戦う。

 

・羌族姚氏、前秦との因縁。

 

何とか羌族を糾合し、体制を立て直した姚襄は関中へ侵攻しようと企む。

 

平陽に拠点を置くとは言えあくまで仮住まい。

 

関中及び出身地の涼州の南安への道を開きたいところである。

 

関中を支配している氐族の前秦は、

建国以来まとまっていなかった。

 

当時は苻生が皇帝で、彼は暴虐のため、民心を失っていた。

 

姚襄としては、

東晋に帰順するために黄河を南に渡河した時に、

苻生の父苻健に攻撃され、大敗させられた因縁の相手である。

 

また、

父姚弋仲と姚襄は後趙に義理立てをしたが、

苻健の父苻洪は早々に後趙を見限っていた。

 

このように姚襄たちの羌族集団とは、全く異なった風土を持つ氐族の前秦。

 

姚襄の羌族集団は意気揚々と関中へ攻め入る。

 

・姚襄の羌族集団を阻むは苻堅。

 

平陽から真西に黄河を渡河、今の延安あたりから南下。

関中平野へ侵入。

 

長安の北方の三原において、

姚襄の羌族集団は前秦軍と遭遇する。

 

前秦の総大将は「後の前秦皇帝」苻堅である。

 

姚襄としては、

皇帝苻生の暴虐により、

乱れている前秦を突くことで一気に肩を付けるようとしていた。

 

しかし姚襄にとってはタイミングが非常に悪かった。

前秦内部は皇帝苻生を見限り、苻生を殺害して、

苻堅を後継に据えようと企てていた。

 

その軍勢が姚襄を迎撃する、この前秦軍であった。

 

なので、非常に士気が高くかった。

 

姚襄を撃退して、そのまま長安へ凱旋。

皇帝苻生を打倒して新しい政権を押し立てようとしていたのである。

 

 

姚襄は苻堅軍の猛攻撃を受け、乱戦の中落馬。

捕虜となり、そのまま処刑される。

 

残った羌族集団を引き継ぐことになった、

姚襄の弟姚萇は、

衆寡敵せず、苻堅に降ることとなる。

 

姚襄は非常についていなかった。

 

 

 

 

 

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●参考図書:

 

 

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