歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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4代姚興前半期に後秦羌族姚氏は最盛期を迎える。

 

 

姚興は、姚萇の後継者で姚弋仲の孫に当たる。

姚興の代に羌族姚氏は最盛期と衰退期の両方の事象を経験することになる。

 

●姚興の前半期に羌族姚氏は最盛期を迎える。

 

まず394年から401年末までの後秦姚興の最盛期について。

 

この401年末が後秦姚興の最盛期である。

 

 

 

姚興が394年に姚萇の後を継いでからこの401年までの7年間、

対外情勢が姚興にとって非常に幸運な状況が続いていた。

 

・東晋の状況

 

東晋は、下記三点の混迷期で身動きが取れなかった。

孝武帝、司馬道子の兄弟対立および腐敗、

これを受けての399年孫恩の乱勃発、

荊州において事実上の軍閥としての桓玄の割拠、である。

 

東晋はまとまった動きが取れなかった。

また蜀は譙縦が自立していたが、蜀のみの勢力であり取るに足らない。

そもそも蜀から関中方面の地理的な条件もあり、脅威となり得ない。

 

 

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・関中以外の華北情勢

 

後燕慕容垂が華北を統一するほどの勢いを一瞬見せるも、

395年参合陂の戦いで、子の慕容宝が北魏の拓跋珪に大敗。

 

拓跋珪はこれに乗じて、

一気に河北を掌握。

 

398年には拓跋珪は、

フフホトから代の平城へ遷都、

そして皇帝に即位。

旧後燕領を確保するも、掌握はし切れていないので、

こちらに専念することになる。

 

以上のような状況から、

後秦姚興は401年一杯まで、余裕があった。

 

後秦姚興が

相対的に強い勢力であったこと、

また関中盆地という地政学的に攻めにくいエリアを本拠としている

というメリットもあった。

 

しかしながら、

402年に後秦姚興は北魏と衝突することで、

衰退期へと転換する。

 

下記につかの間の全盛期までの経緯を記す。

 

 

●羌族の仲良し姚氏の本領発揮

 

姚興の叔父で姚萇の弟、姚碩徳(ようせきとく)が涼州方面攻略を着実に進める。

 

姚萇の同母弟姚緒に命じて河東(長安から見て黄河の東岸地域)を獲得。

 

姚興の弟、姚崇が洛陽を獲得。

 

姚興の叔父で姚萇の同母弟姚紹が洛陽を守護。

姚紹は、後秦羌族姚氏の最後まで、守護神として奮闘する。

 

●後秦羌族姚氏の快進撃。

 

・394年前秦苻登の撃破。

 

姚萇が393年12月に死去する。

姚興は長安西方で苻登と交戦中のため、姚萇の死を伏せて戦いを継続。

 

姚興は苻登を撃退、394年5月に姚萇の死を公表、姚興は姚萇の後を継ぎ、

皇帝となる。

 

 

 

姚興は余勢をかって、隴右に侵攻、

 

394年7月には苻登を攻撃して破り、捕らえて処刑する。

姚興は即位直後に、姚萇以来の宿敵苻登を敗死させた。

 

前秦勢力の覆滅に成功した姚興はこれで関中を完全掌握、勢いに乗る。

 

・396年河東の確保

 

396年、参合陂の戦いおよび後燕慕容垂の崩御という混乱に乗じ、

姚興は叔父で、

姚萇の同母弟姚緒に命じて河東(長安から見て黄河の東岸地域)を獲得。

西燕の残党が割拠していたが、これを併合する。

 

 

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 ・399年洛陽の獲得。

 

399年7月

姚興の弟姚崇に命じて、洛陽を攻撃。同年10月に陥落させる。

洛陽を掌握した勢いで、一気に漢水、淮水線まで侵攻、

両河川以北を自勢力に併合する。

 

同399年、

天体の異変から不吉を感じて、姚興は称号を皇帝から天王に変更する。

 

・400年西秦の服属化。

 

400年7月には、

姚興の叔父で姚萇の弟、姚碩徳(ようせきとく)に命じて、

西秦(隴西鮮卑)を攻撃。

これを契機に、この姚碩徳が涼州方面軍の総司令官として活躍する。

西秦王乞伏乾帰が長安に来て投降。

西秦を属国化。

 

・401年後涼の服属化。

 

401年9月、

姚碩徳が後涼を攻撃。

後涼は前秦苻堅に仕えた功臣呂光が創った国。

呂光は苻堅と同郷の略陽郡出身の氐族である。

苻堅時代の呂光は、涼州および西域方面の総司令官であった。

が、前秦崩壊後、後涼として自立した。

 

この後涼を姚碩徳が攻撃、

南涼の禿髪氏(西晋初期に反乱を起こしていた禿髪樹機能の末裔)が協力したため、

すんなりと姑臧(こぞう)に辿り着き、占領。

後涼を属国化。

 

●鳩摩羅什(くまらじゅう。クマーラジーヴァ)の獲得。

 

ここで非常に重要な事件が起きる。

後秦姚興が後涼を服属させたことにより、

仏僧・鳩摩羅什の身柄を獲得する。

 

中国の仏教史としては、

石勒、石虎に保護された仏図澄、

仏図澄の弟子で、東晋と苻堅の前秦において仏教を広めた釈道安、

の次が鳩摩羅什である。

 

鳩摩羅什は、後秦・常安(長安)において、

大規模な仏典翻訳事業を開始する。

約300巻の仏典を漢訳。唐の玄奘と並び称され、

二大訳聖と呼ばれるが、先に現れた鳩摩羅什の

中華世界に対する仏教布教の貢献は計り知れない。

 

仏教に心酔していた姚興はこれを全面的に支援することになる。

 

石勒、東晋、苻堅と、

中華の権力者たちが心酔した仏教は、

最先端の知識・教養として時の権力者を魅了していた。

 

また宗教というのは、

民族を超えた帝国を成立させるのに大きな貢献をする要素がある。

民族ごとに互いに差別する、その差異は風習や外見によるが、

等しく同じ宗教を信仰するとその垣根が崩れる。

 

仏教という宗教を共通して信じることが、

風習や習慣の均一化を生む。

 

鳩摩羅什を手に入れた後秦姚興は、

この時点で石勒、苻堅に迫る異民族の中華帝国を創出する条件を備えていた。

 

 

しかしながら、

北魏との柴壁の戦いにおける大敗で、

後秦姚興は衰退していく。

●参考図書:

 

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

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