- ●朝鮮半島、3つのエリア
- ●歴史的な「ソウル」エリアを分断する38度線。
- ●中華視点なら、平壌が首都としてはベスト。
- ●平壌から開城の間にある滅悪山脈が本来の国境線。
- ●漢江―臨津江線の北緯38度線は地形的に国境線になり得ない。
先日、ソウルに行ってきたときに、
韓国、北朝鮮の国境線を見てきた。
これを歴史的、地政学的、中華史視点から考えたい。
結論として、この韓国、北朝鮮の国境線は非常に人為的なもので、
歴史的な国境線ではない、ということである。
●朝鮮半島、3つのエリア
朝鮮半島には、
三つの大きな平野がある。
平壌周辺、
ソウル周辺、
釜山周辺、
の以上三つのエリアである。
朝鮮半島にはいわゆる古代に
三つの国があったが、
そのまま上記エリアそれぞれ、
高句麗、
百済、
新羅、
の中心領域となる。
(釜山はもとは日本の任那の管轄だが、
後に562年新羅が任那を滅ぼし、
釜山エリアを手に入れる。)
現代の大韓民国では、
旧百済エリア出身者と、旧新羅エリア出身者とでは、
差別しあっており、
このエリア的区分は現代にも大きな影響を与えている。
●歴史的な「ソウル」エリアを分断する38度線。
朝鮮半島を
ざっと半分にするには北緯38度線というのは、
何ともちょうどよいラインに見受けられる。
しかしながら、
朝鮮半島の歴史において、
ここを境界線にしたことは、ない。
これは広い意味でのソウルエリアを分断するような線を引いている。
●中華視点なら、平壌が首都としてはベスト。
平壌を掌握する国家は、
基本的に北に伸びる。
鴨緑江を渡って満州方面に勢力を伸長する。
平壌よりも南は、
山がちであり、そこまで魅力的な場所はない。
馬も減る。
一方、
満州は
馬の産地であり、より中華に近くなる。
平野も増える。
移動もしやすい。
ということで、平壌を掌握する勢力は北に伸長するのである。
前漢武帝の時に置かれた楽浪郡は、
ここ平壌を拠点として設置された。
前漢武帝にとっての朝鮮支配の本拠地はここ楽浪郡である。
イコール平壌というのは、
中華の勢力からすれば最も近く、
朝鮮半島の橋頭保となりうる場所で、
朝鮮から見れば、中華方面へ進出する足掛かりとなるのである。
●平壌から開城の間にある滅悪山脈が本来の国境線。
平壌は、
中華世界から見れば、
実は行き止まりともいえる。
これより南に下がるには山を越えなくてはならない。
この山々を滅悪山脈(ミョラクサンミャク)と呼ぶ。
山を越えると、
現れるのが開城(けそん)である。
開城をさらに南に漢江(ハンガン)もしくは臨津江を渡ると、
ソウルへとたどり着く。
先にソウル周辺としたが、
このエリアはもう少し詳細に書くと、
北は開城、
南はソウル、というエリアであり
中心周辺を漢江が流れる。
西の先には、政変などが起きると、
朝鮮王が逃げ込む江華島が存在する。
開城からソウルまでのエリアは
平壌とは全くの別エリアである。
山で隔てられ、よく国境線となる。
朝鮮半島を統一する勢力は、
このソウルエリアに首都を置く。
開城だったりソウルだったり。
高麗のように、北に比重の高い勢力は開城、
新羅のように
南東の慶州が本拠の場合は、南寄りのソウル、
となる。
●漢江―臨津江線の北緯38度線は地形的に国境線になり得ない。
このソウルエリアにある、漢江から臨津江の線が
北緯38度線なのであるが、
ここは朝鮮半島の歴史において国境線になったことはない。
ソウルエリアは、
一体であり、
それぞれ割拠するほどの地政学的条件を備えていない。
漢江―臨津江線の河は、
非常に流れが緩やかで、
川深も非常に浅い。
◆写真
上記写真を見て欲しい。
この河が韓国、北朝鮮の国境である。
この河の、
最も川幅が狭い場所は両岸たったの400メートルしか離れていないのだ。
河には中洲もあり、
河の流れも緩やかで、私でも泳いで歩いて泳げば越境できそうだ。
川幅四キロの長江や
流れが激しく濁流の黄河のようには、
国境線になるような条件を備えていないのである。
上記は模型の写真である。
この同じ場所から、後ろを振り向いて撮った写真が下記である。
結構近い場所まで、
高層マンション群が林立しているのがわかる。
このような地政学上、国境線にはなり得ないこの場所が、
米ソ冷戦の結果として、
国境線になってしまったのが、北緯38度線なのである。