五胡十六国時代。
西晋が事実上滅亡した313年から、
北魏が後仇池を滅ぼして華北を統一した441年までの、
128年間のことを指す。
現代中国においては、東晋十六国時代と呼ぶ。
「胡」という呼称が民族差別の意味合いを含むからである。
この場合は、東晋成立の317年から420年までを指すので、
前後の時代区分の解釈が
変わってくる。
なお魏晋南北朝時代というのは、
曹丕による220年魏の建国から、
隋の楊堅による589年までを指す。
五胡十六国時代と南北朝時代を包含する。
●五胡十六国時代前半(313年〜383年)
永嘉の乱で西晋が滅びてから、
383年に中華統一にあと一歩だった、
前秦苻堅が 東晋に淝水の戦いにおいて
大敗するまでを指す。
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300年-306年八王の乱(狭義)
304年匈奴の劉淵が西晋から独立。国号は漢。
307年から八王の乱延長戦開始。
308年劉淵、皇帝を称す。
310年劉淵崩御。
311年八王の乱の勝利者、司馬越の死去。
この後西晋は国家としての体を成さなくなる。
313年永嘉の乱 洛陽陥落。懐帝逮捕。西晋の実態上の滅亡。
316年西晋愍帝、長安にて捕虜。西晋の完全滅亡。
代王拓跋猗盧、内乱により死去。
316年12月~317年4月まで中華皇帝空位。
317年東晋成立。司馬睿、皇帝となる。
318年漢の劉聡崩御。その後内乱。これを鎮圧した劉曜、前趙建国。
319年石勒、前趙から分離独立。
322年-324年 王敦の乱
327-329年 蘇峻の乱
327年 庾亮の土断。
328年、石勒と劉曜の洛陽決戦。石勒勝利。劉曜捕虜となる。
329年、石勒、前趙を滅ぼす。
330年、石勒、初めて異民族として皇帝となる。
333年石勒死去。
334年石虎皇位を奪う。
341年庾冰の土断。
346-347年桓温による成漢討伐。
349年石虎死去。内乱。
352年鮮卑慕容部、前燕帝国が成立。
354年桓温第一次北伐
356年桓温第二次北伐
357年苻堅、内乱に勝って皇帝になる。
364年桓温による庚戌土断。
369年桓温第三次北伐
370年前燕慕容垂が前秦に亡命。前秦が前燕を攻撃、滅亡させる。
373年桓温死去。
383年淝水の戦い。後秦苻堅による中華統一失敗。
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ここまでが、五胡十六国時代の前半期。
五胡十六国時代の折り返し地点が
淝水の戦いである。
●五胡十六国時代後半(384年〜441年)
ここからが、五胡十六国時代の後半期となる。
メインストーリーは、
北魏がいかにして華北を統一したか、となる。
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384年、慕容垂が後燕を建国。
386年、拓跋珪が北魏を建国。
395年参合陂の戦いで、拓跋珪が後燕に勝利。
398年北魏の拓跋珪、皇帝を称する。盛楽から平城へ遷都。
399-402年孫恩の乱
402年柴壁の戦い。北魏が後秦に大勝。
403-404年 桓玄の簒奪。劉裕が打倒して権力掌握。
407年赫連勃勃が夏を建国。
413年劉裕の義熙土断。
417年劉裕が北伐で後秦を滅亡させる。
420年劉裕が東晋から禅譲を受けて皇帝即位。宋の建国。
425年、夏の赫連勃勃が死去。
426年、北魏太武帝が夏を滅亡させる。
436年、北魏太武帝、北燕を滅ぼす。
439年北涼を滅ぼして、北魏の華北統一(一般的)。
441年北魏の華北統一(本当はこちら。後仇池がまだ残っていた。)
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五胡十六国時代は、
異民族の華北争覇の歴史だ。
前半の勝者は前秦苻堅、
後半の勝者は北魏太武帝である。
紋切り型の言い方だが、
両方とも、苻堅と太武帝に行き着くまでの
他の登場人物は、
彼らの引き立て役でしかない。
そう考えるとこの時代は理解しやすいを私は考える。