孔明 北伐
第一次 228年春
斜谷道に趙雲を囮、孔明本体は、関山道で岐山へ
天水・南安・安定の3郡が蜀に寝返った
魏帝曹叡は長安に親征
馬謖、街亭にて張郃に敗れる。
第二次北伐 228年12月
陳倉の戦い
斜谷道
第三次北伐 229年春
関山道の武都・陰平攻略戦。
諸葛亮は陳式に命じて武都・陰平の2郡を攻めさせた。
これに対して魏の郭淮が救援に向かったが、諸葛亮自身が建威に出撃して彼の退路を断とうとしたので撤退した。陳式は無事に武都・陰平を制圧した。
(岐山の手前までを確保)
曹真の征蜀 230年8月
曹真は褒斜道。
司馬懿は、荊州・魏興側から漢中へ。
長雨のため撤退。
その後すぐ曹真死去。
第四次北伐 231年2月
諸葛孔明、岐山攻略。
司馬懿と膠着状態。
李厳(李平)の食糧不足という偽りにより、撤兵。
張郃は、追撃戦中に戦死。
第五次北伐 234年2月~8 月
斜谷道
五丈原にて、司馬懿と対陣。
諸葛孔明陣没。その後蜀は撤兵。