褒斜道=斜谷道
漢中側の褒水の流れる谷間・褒谷と、関中側の斜水の流れる谷間・斜水、
および両水の上流は陸地(つまり頂上)、これらを褒斜道と呼ぶ。
漢中盆地の中心地・南鄭(漢中とも呼ぶ)から真北に進み、
そのまままっすぐであれば陳倉(後の鳳翔、今の宝鶏)、
途中で右に曲がって関中平野に出ると、五丈原・郿城。
距離は現代換算で全長約250キロ。(東京から浜松ぐらい)
諸葛孔明の第一次北伐の際の趙雲が使ったのがこの斜谷道。
敵を誘い込むための陽動作戦のために活用。
諸葛孔明本体は岐山方面へ侵攻。
また諸葛孔明の最後の第五次北伐の際にも使用。
ここを通って五丈原に陣を敷く。諸葛孔明陣没後、この道を通って撤退。