歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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漢中⇔関中ルート3 斜谷道(褒斜道)

褒斜道=斜谷道

漢中側の褒水の流れる谷間・褒谷と、関中側の斜水の流れる谷間・斜水、

および両水の上流は陸地(つまり頂上)、これらを褒斜道と呼ぶ。


漢中盆地の中心地・南鄭(漢中とも呼ぶ)から真北に進み、

そのまままっすぐであれば陳倉(後の鳳翔、今の宝鶏)、

途中で右に曲がって関中平野に出ると、五丈原・郿城。

距離は現代換算で全長約250キロ。(東京から浜松ぐらい)


諸葛孔明の第一次北伐の際の趙雲が使ったのがこの斜谷道。

敵を誘い込むための陽動作戦のために活用。

諸葛孔明本体は岐山方面へ侵攻。


また諸葛孔明の最後の第五次北伐の際にも使用。

ここを通って五丈原に陣を敷く。諸葛孔明陣没後、この道を通って撤退。


斜谷道