正史三国志と三国志演義の違い。
正史と演義では、曹操・劉備の描き方が全く違う。
これは書かれた時代背景が違うため。
明の時代では、「蜀漢正統論」が前提であった。
だから、蜀の大活躍が描かれる、「三国志演義」が生まれた。
きわめて政治性の強い物語である。プロパガンダだ。
対して、
正史「三国志」は西晋の時代。
曹操の魏(曹魏)を打倒した西晋が、蜀漢の旧臣・陳寿に書かせたもの。
陳寿は蜀の諸葛亮に父を処罰されているため、
没落し、その後西晋の高官・張華に引きあがられたため、
西晋寄り、その前の王朝・曹魏寄りの描き方をする。
曹操に天命が下り、その周辺で跋扈する、蜀漢・劉備と呉の孫権。
かたや演義は、
明の羅漢中の作。蜀が大活躍する。
当時、明が久々に漢民族として中華全土を統一したという歴史的事業があった。
北宋の靖康の変以来、200数十年ぶりの快挙である。
朱元璋が農民出身で、漢高祖の劉邦と経歴が似ているのはご存知の通り。
朱元璋がその劉邦の遺徳をしのび、漢民族の王朝を復興させようとした
というストーリーにしたかったのが事の起こりだ。
元々、曹魏ではなく、漢の復興を理念として掲げていた蜀が正統だったという
考えは以前からあった。
曹魏は簒奪者であり、西晋・東晋は漢民族王朝の復興であるという
考え方だ。曹操はさらにまずく、各異民族を昔からの中華領域に移住させて、後の異民族反乱の遠因となった。
永嘉の乱(~316年)の後、五胡十六国時代に入るが、
その後明までは中華統一王朝はすべて異民族だった。
隋や唐も宋も異民族王朝である。中華に君臨する中でその証拠を消している。
しかし、朱元璋は、江南の出身であり、かつ農民だ。
いわゆる中華民族と言われる地域の出身なので、
漢民族と言い切れるわけだ。江南というのは、永嘉の乱のため、晋王朝が逃げた先だ。
合わせて、当時中原にいた、漢民族が江南に逃げてきた。
江南は漢民族の末裔というストーリーが出来上がる。
明に代わったことで、
歴史に関しての定義が変わったわけだ。
漢が正しい。そういわれてみると、秦も異民族だ。
三国で乱れた。曹魏は漢から簒奪した。
蜀漢は、漢の復興を目指した。
しかし曹魏はその蜀漢を滅ぼした。
西晋は、曹魏を滅ぼし、蜀漢の理念を継承。
五胡十六国時代は、正統は東晋。
北は異民族王朝。
という流れである。
今の中国につながる話である。