天水が隴だった。(隴右)
狄道が隴だった。(隴左)
諸葛孔明の北伐を調べるにあたり、
天水と関中が山脈によって隔たれていることを知った。
関中の一番左が陳倉、そこから
山を越えると天水がある。
エリアが違うのだ。
だから、魏としては諸葛孔明がどっちを狙っているのかを気にしていた。
関中なのか、天水方面なのか。
と考えたときに思い出した。
「隴を得て、蜀を望む」
これは、曹操と後漢光武帝が言った言葉として伝えられている。
欲望にきりがないことの例えだ。略して「望蜀」ともいう。
そうだ、隴ってどこだ?
と思って調べたら、
隴関という関所がある。
陳倉から天水に行く山の中にあるようだ。
この関所を抜けて天水に行く。
隴右という言葉がある。
これが天水を中心とする呼び方。
では、隴左とは?
調べてみると、狄道という言葉が出てきた。
あの姜維の「狄道の戦い」(253年)だ。
蜀はずっと隴を狙っていた。
魏は隴を支配しきれていなかった。
だから蜀は姜族など異民族とのネットワークがあるこのエリアをずっと狙っていたわけである。